見出し画像

90秒で学ぶ!逆説の日本史2⃣古代怨霊編(第一章)

今回は井沢元彦「逆説の日本史2⃣古代怨霊編」(小学館文庫)
の第一章を90秒で紹介します。

聖徳太子編

聖徳太子の称号の謎

井沢氏は著作「逆説の日本史」で幾度となく主張しているのが、
日本史=怨霊鎮魂の歴史だということです。

そしてこのことを顕著に表しているのが聖徳太子です。

旧日本紙幣の肖像画にもなった聖徳太子ですが、その実の名を厩戸皇子(うまやどのきこ)と言います。

そして先に今回の結論を言えば、
聖徳太子が「聖徳」と呼ばれているのは、「聖なる」「徳のある」人物だったからではなく、怨霊鎮魂のためだということです。

どういうことなのか?もう少し詳しく言えば、聖徳太子は変死を遂げたからこそ、「聖徳」であり、この考え方を理解することが日本史の真相を明らかにすることになるということです。

ではなぜ厩戸皇子に「聖徳」と言う諡号が付けられたのか。

第一に、古代日本では「徳」という字は怨霊を鎮めるために付けられた字であるためです。

その根拠に、「徳」の字が諡号につく六人の天皇(孝徳、称徳、文徳、崇徳、安徳、順徳)は、すべて不幸な死を遂げた人、この世に無念の思いを残して死んだ人だということです。そして聖徳太子も変死を遂げた人物です。

つまり、「徳」と言う字を諡号に入れることで、変死した人物の怨霊を鎮める有効な手だと考えられていたということになります。

第二に「聖」という意味についてです。
「聖」には怨霊となる人物が善なる神に転化した状態を表現する意味があります。

古代日本の政治において、最重視されていたことが怨霊を鎮魂することです。それによって世の中が安穏になると信じられていました。

そのため、世を惑わす怨霊が発生すると、それを良い霊に変えなければなりませんでした。それゆえ世を統治するために、祀りことが有効な手段だと考えられていました。

まとめると、聖徳太子は「聖なる」「徳のある」人物だったからではなく、怨霊鎮魂のために付けれれた諡号だということです。
そしてこのことが、怨霊鎮魂の歴史を理解する重要な手掛かりになります。

まとめ

今回は井沢元彦「逆説の日本史2⃣古代怨霊編」(小学館文庫)
の第一章を90秒で紹介しました。

この章では、それ以外にも聖徳太子がなぜ天皇になれなかったのか、その裏にはどのような陰謀があったのかを分かりやすく解説しています。
私自、目から鱗でとても勉強になりました。

面白いので、興味があれば手に取ってみてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?