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90秒で学ぶ!逆説の日本史2⃣古代怨霊編(第三章)

今回は井沢元彦「逆説の日本史2⃣古代怨霊編」(小学館文庫)
の第三章を90秒で紹介します。

第三章天武天皇と持統女帝編

天武天皇の正体は?

前章では、天武天皇(親新羅派)は正統な皇位継承者ではなかったので、天智天皇(反新羅派)を暗殺した。
そして天武天皇の皇位継承に正統性を持たすために『日本書記』には天智天皇が兄、天武天皇が弟と書き示されていると論じました。

では正当な後継者ではなかった天武天皇の正体は誰なのか?

結論から言えば、
天武天皇は高向王と斉明天皇との間に生まれた子供である漢皇子ではないかと井沢氏は論じています。
つまり天武は天智とは異父兄(母は斉明天皇で父が異なる)であるということです。
しかしここで注意しておきたいのは、
高向王は、『日本書紀』に記載があるだけで詳細が分かっていません。
そのため、架空の人物ではないか、
そして、その正体は皇族とは程遠い外国人、新羅人ではないかと言うのが井沢氏の推論です。

その根拠は主に三つです。

第一に、持統天皇が「万世一系」のために、天智の血統を守り続けた事です。

持統天皇は天智の娘であり、天武の皇后です。
天武には多くの妻と子がいましたが、持統は自らの血統(天智の血統)を持っている者にのみ皇位継承をさせました。
その理由は、天武は正統な血統ではなかったので、他の妻との子に皇位が継承させると「万世一系」が途絶えてしまうからです。

持統は草壁皇子を天武の後に継承させるために、ライバルの大津皇子を自殺に追い込みました。また高市皇子の死についても持統の陰謀があったと言われています。

しかし不運な事に草壁皇子は急死してしまいました。
この時、天武の子は他にも大勢いましたが、持統自らが天皇に即位しました。
これは当時幼かった、文武天皇が大きくなるのを待つためです。
それくらい持統天皇は自らの血筋(天智の血統)を大切にしていました。

これはその後の文武、元明、聖武の流れについても同じことが言えます。

つまり他に継承者がいるにも関わらず、持統は自らの血統を守るために、
子から母へと異例の皇位継承が行いました。


第二に、持統から孫の文武帝への譲位とアマテラスの子孫降臨の神話と関係です。

日本において、祖母から孫への譲位は一度だけしかありません。
それが、持統天皇から文武天皇への譲位です。
これは持統天皇が天智の血統にこだわっていたからです。
そしてアマテラスの子孫降臨の神話も祖母から孫へ譲位した話です。

これは下記のことを意味しています。
当時、『日本書紀』は天武の皇位継承について正統性を示すために編纂されました。
しかし天武の死後、持統とその子孫が政権を握るようにするために、
「持統の子孫こそ正統である」と示さなければいけなかった。
そこで「アマテラスの神話も子孫降臨」に書き換え、
祖母から孫への皇位継承の正統性を保ったということです。

第三に、書記には高向王の正体が書かれていないということ。
高向王はその名の通り、王です。
にもかかわらず書記には詳細が書かれていない。
いや、むしろ皇族の身分にふさわしくない人物だったから書けなかった。
つまり、それは外国人。そして天武が親新羅派だったことを考慮すると父が新羅だったのではないかということです。
(詳しいことは割愛するので本書を見ていただきたいです)

まとめ

今回は井沢元彦「逆説の日本史2⃣古代怨霊編」(小学館文庫)
の第三章を90秒で紹介しました。

この章では、ほかにも「持統」の諡号、持統天皇と藤原不比等の関係についても解説しています。

興味深い内容なのでぜひ読んでみてください。

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