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博愛主義の皮を被った八方美人


僕は、博愛主義だと思っていた。
自分自身のことを。


「世界を愛し、人類を愛し、目の前の人を愛し、
全部が幸せであれば良いとおもってる」と思っていた。
だけど僕の正体は違ったみたい。



僕の正体、それは八方美人。



良いように思われたいだけ。
僕はみんなから、「みんなの幸せを願っているめっちゃ良い人」
っていう風に思って欲しかっただけ。


そう思うよ。


なんでそんな事を思ったかと言うと、
僕はたまに、人に対してこんな風に思う時があるから。

”自分より幸せになって欲しくない”


幸せそうにしている人を見ると嫌なんだ。
素直に喜べない自分が、いる。
全世界の幸せを望んでいるはずなのに。


なんであいつにこれができて、自分にはできないのかって思っちゃう。


なんでなんだろう。
多分、自分が満足じゃないから。
自分が祝福されていないから。
自分が羨ましく感じてしまうから。


自分は自分の功績や環境や言葉や考え方があるはずで、
その自分にしか感じられない尊い何かがあるはずなんだ。

だけどそれを忘れて、完全に隣の芝を青く見えてしまって、
素直に喜べない。


そんなやつ、博愛主義じゃないよね。


だからただの八方美人。
僕はマザーテレサには程遠い。
マザーテレサにあって自分にはない欲望がある。


だけど逆に、
僕にあってマザーテレサにない欲望がある。
人類平等に分け与える愛情では、救えない人がいるかもしれない。
特別な愛情を受けたい人が、いるかもしれない。


そう思って、マザーテレサであることを諦めよう。
これは逃げなのか。
いや、逃げではないはず。。。


全人類の平和を望もうが、
全人類の痛みを望もうが、
欲望を満たすことができていれば、
どちらでも良いのではないかと思える。


欲を満たすことで自分が満たされるのなら。
俺の本性はどっちだ。




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