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「たられば」で考えてみた仕事のこと

もしも「会社」がなかったら、ぼくは何をするのだろう? そんなことを思いました。

会社というものが、【ある目指すものがあり、その目的のために、社員とともに進みましょう。】という組織だったとして、社員になるということは、その一員になるわけですよね。

もし、前述のことを会社の定義とするならば、ぼくは一社員でありながら、全くもってその目的のために寄与しようとも考えていないクソ社員です。

仮にぼくが経営者なら、そんな人材はお断り。最低限の仕事だけこなして歯車の一つにはなっているけれども、組織を成長させていくという観点からは別にいらない。願わくば、同じ目的を持って、一緒に頑張ってくれる人材が欲しい。そう思います。

ここからが、本題です。

もしも「会社」がなかったら、ぼくは何をするのだろう?

おそらく、コロナを転機に、自分自身の生き方や働き方、望む人生・生活スタイルなどを考え始めた方が多くいるのではないでしょうか。

「生と死は隣り合わせ」顕在化する数々の出来事を目の当たりにして、割とそれを考えるキッカケになる出来事も多かったように思います(もちろん、まだまだコロナがもたらす影響は大きく、これからも考えるキッカケになる出来事は起こりうるかと思います)。

最近ぼく自身が、仕事についてどうあるべきか考えることが増えました。続けるか・転職するかは勿論のこと、そもそも会社が存在しなかったら何をするんだろう? という視点でも考え始めたわけです。

この資本主義社会において自分には何ができるのか? 何をして対価(ここでは分かり易く、対価=お金)を得るのか? そんなことまで、いまさらながら考え始めました。

考えても考えてもよく分からないし、いまもその答えは出ていません。ただ、今までと少し違うのは考えるだけでなく動きながら考えている点です。

まずは、自分自身で考えられる枠の中で、気になった企業があれば、どストレートに電話をして見学を依頼する。直接見に行くことをしています。思いのほか、無碍に断られることは少ないです。なかなか直接電話してくる人はいないと、面白がってくれるところさえあります。

そして、それらの体験を経て、自分の中で少しずつ、興味を持つことの共通点が見えてきました。僅かながら、方向性が見えたこの段階で、アレコレ考えずにまずはやってみようという気持ちにもなりました。

ただ、その時、ひとつの疑問が湧きました。それが、もしも「会社」がなかったら、ぼくは何をするのだろう? という疑問です。

その解が、今後進む道を示唆するヒントになるかもしれないと思い、もう一度立ち止まって自分の気持ちを探ってみようとの決断に至りました。

いままで全く考えたことがなかったので、とても楽しみな結果になりそうな気もしますし、イメージすらできないという残念な結果にもなりそうです。

もしも「会社」がなかったら、私は何をするのだろう? 会社員なら、一度は考えてみても良いテーマかもしれないですね。

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