「嫌いって言葉を口にする人、嫌い」

先日、とある漫画SNSでちょっとした問題が起こった。仲良くなった数人の仲間内で、「俺はあの人と関わりたくない、SNSをやめるかも」という方が現れたのである。

みんなそこまで穏やかに、かつ急速に親しくなっていたことから、一気に「何があった?」「誰と誰がオンライン上で喧嘩した?」とザワザワした。私も、みんな穏やかな部類の人達のような気がしていたのでとても気になった。もしかしたら自分が不用意に何か彼を傷付けたかもしれない、とも考えた。そして「この人なら知っているかも」と思われる人と連絡をとって、「何があったか知っていますか」と噂をしたりもした。

すると「SNSを離れます」と話した本人が「結構ザワつかせてしまったので、何があったか説明します」と直接何人かに連絡が来た。彼の指す「嫌な発言をした当本人ではない人達」に向けて、ということである。私は「ああ良かった、何か失礼をしでかしたのは私ではなかった」と安堵した。

で、何が彼をそんなに怒らせたのかを聞いてみると、「その人はとある漫画の原作を『お世辞にも上手いとは言えない』と言ったのです!」とのことだった。「彼は普段から自分に価値があると思い過ぎていて鼻につく。その上原作を、そして原作を好きな人たちを愚弄している。何かを好きではないと言う事をSNSで言うのは悪い事だ」と。

以前聞いていたラジオで、全く同じ話題が出たことがあった。「僕、『この作品キライ』ってことを言う人、嫌なんですよ。それ、わざわざ言う必要ある?「好き」なら分かるよ。なんで嫌いだって言うの?いい事起きないでしょう。」

果たしてそうだろうか。「好き」というのが自由なら、「嫌い」と言うのも自由で、単に「これは俺向けではない」と言っただけの話で、「好きだと言う人たちを愚弄」もしていないのでは無いですか?と私は思う。そして、「誰かが誰かを嫌いだという事を発言してはいけない」なら、「俺こういう人嫌い」も発言してはいけないのでは・・・?そもそも「好き」も「いい事が起きるから言うこと」では無い。

「好き」と言う言葉に価値があるのは分かる。確かにキラキラした前向きなものを孕んではいる。実際「好き」と言う言葉を多く発する人間の方が好感度を持たれることは心理学上、解明されていたことだったと思う。でも、苦手なもの嫌いなものに対して発言することそのものは、別に悪ではない。それよりも「嫌いって言葉を口にする人嫌い」と言う矛盾に気付いて欲しい。

もっと気楽に行こう。誰かが一生懸命作ったものも、誰かには絶対受け入れられない。そういう法則ってあるのだから、その一端を垣間見た時に、人を評価したり大きく動揺したりせずにいこう。

ああ、自分がそう言う地雷を持った人を刺激しませんように、と願う。そして、私は「ふーん、あなたはそうなんだ」「私とは感覚が違うねえ」とニッコリ言える私でありますように。

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