見出し画像

『街の上で』≒「他人の他愛のない会話を盗み聞きして得られる安心感」


「喫茶店で他人の他愛のない会話を盗み聞きすることで得られる安心感」が好きだ。



何ごとにも生産性や効率が求められる時代に疲弊し、人間や生活が嫌いになりそうなことが多々ある。

人見知りかつコミュ障のくせして営業職に従事するというキテレツセルフ拷問をしているしっぺ返しなのだろうか。

そんな時は喫茶店に行くことにしている。


理想を言うならば、お年を召した店主が切り盛りしている古めの喫茶店。
僅かにタバコの匂いが染み付いたソファや椅子はくたびれ沈み込むため、かえって座り心地が良い。

常連は、競馬新聞を広げながらタバコを吸っているおじさん、近所の話好きなおばちゃん、一見物静かに見えるが愛想の良い青年など。エモを求めて三千里な映え亡者は御免。


そんなお店で、「店主や常連など、他人の他愛のない会話を盗み聞きすることで得られる安心感」が好きだ。

天気の話、昨日食べたご飯の話、街で見かけた変な人の話などなど。
語弊を生むかもしれないが、生産性も効率も全くなにもなく、会話、雑談。それだけ。

それだけで良いし、それだけが良い。

あ、こんなもんで良いんだよなあ、会話って人と人の触れ合いなんだなあと安心する。
(そもそも盗み聞き良くないごめんなさい)


職場の会話ではしばしば、AとBどちらが正しいか、と正否がつけられ価値観コロシアムのような惨状が繰り広げられる。

俺は、相手の価値観を正しいとし穏便に済ませることが多い。
そして心で泣きながら中指を立てている。
非常にダサくて痛い。

一方喫茶店では、互いに話をするのも聞くのも意図も文脈もあまり感じ無い純粋な会話が多い印象を受ける。
かなり主観的だけども。

互いの価値観や生活など雑多なことを肩肘張らずに自然体で「へーおもしろい」とふやけた肯定をしている気がする。
もちろんすごく良い意味で。
ふやけた肯定ってなんだよって話だけども。

ビジネス本に書いてあるような会話術や効果的なリアクションなど無くても、会話がゆるーく弾み続けている。


会話とは、人と人が柔らかく、適当だけどどこか丁寧にすり合わせることなんじゃないかと感じる。
日本語不自由すぎる。




会話に対する痛キショエッセイのようになってしまったが本題はそうではない。

今泉力哉監督作の映画「街の上で」を見て、なんかすごく良かったという話だ。

「なんか」とは、ツラツラと上述した

「喫茶店で他人の他愛のない会話を盗み聞きして得られる安心感」がダブルエスプレッソの如く抽出された映画、と感じではないかとぼんやり考えついた。

ダブルエスプレッソという表現は友人のKくんが「俺はコンプレックスをダブルエスプレッソしたような人間だ」って言ってたからパクった。
キショおもろ表現だから好き。

(ここからは若干のネタバレ含みます)


青とイハが家で喋るシーンなんかモロに盗み聞き感があってたまらん。
あんな長回しで自然体に喋ってるのをずっと第3者目線で映されようもんならもうたまらん。

それでいて、なんとなくアレな状況なのに微塵もアレなことが起きずいたことが素晴らしい。
青もイハも素晴らしい。

青が好かれるのって自然体になった時の潔く不恰好がゆえのダサさ、痛さがかわいいく思えるからなんだろうなーと、このシーンを見てなんとなく感じた。

人間、長所を好きになっても、その先でどれだけ短所をかわいく思えるか、許せるかが大事だと感じる。

あとは、青、イハ、マスター、ユキ、イハ元彼が一同に会するシーンが畳み掛けるように笑えて好き。
おもしろいのはもちろん、皆の個性というか人間味が出てて好きだ。


・青の優しいが故のどっちつかずな対応だが、結局ユキが1番大事なところ

・イハも優しいが元彼はこの機会にどうにか振っておきたいところ

・マスターの相手のことを思いハッキリさせようとするところ

・ユキは青とやり直したいが素直になれず強がりながらも人間味のあるかわいげが出ているところ

・イハ元彼の場違いでアンタ誰なところ

あとは、高橋町子監督とフユコの仁義なきバトルシーン。
高橋監督の「映画ってそういうもんだから」っていうのも何かしらのメタファーなのかな。

作者の今泉監督は、高橋監督が作品のために、と切ってしまうような人間味あるシーンこそが映画に味を出すと思っているかもしれないし、逆かもしれないし、どっちでも良いかもしれない。

カットして当然のシーンを言及されて怒る高橋監督のプライドも分かるし、不器用な友人が一生懸命挑戦してバッサリ切られ怒るフユコの気持ちも分かる。どっちも正しい。悪いのは青の怪演だ。

バトル中に巻き込まれたイハが、カットした理由を「下手やったからですね」とバッサリ言い切るのも良かった。

これ以上フユコが辱めを受けず、監督の立場も守ることができる方法だろうし、青のことならバッサリ下手と言ってしまっても大丈夫、という青の人間性あってのこともあるだろう。

青と友だちなんです、とすかさずフォローを入れるのも良かった。


好きなシーンを振り返ろうとすると全部羅列したくなってきた。
見終えた後はそれぐらい全てのシーンが愛おしく思えてくる。


そして、この映画は比較的に作り手側の意識を解釈しやすいところが好きだ。

ユキがイハ元彼の自転車を盗み逃げるも坂を登れず、手押しで走り直すところや、長回しシーンでイハが若干噛むがそのまま続行するところ等。

「人間味が感じられるからあえてこのシーン使ったのかなあ」とか、
「第三者視点の画角が多めだからだから自然と2人の会話を盗み見ている気分になるのかなあ」とか。

やさしく解釈の余地を残してくれている気がする。
初心者でも考察マンになれた気分でありがてえ。



『街の上で』を見て、映画の撮り方に対する解釈も出来つつ内容もおもしろかったし、しつこく上述した「安心感」に救われた気分になったし、人と会話したくなったし、街へ出かけたくなったし、街ゆく名の無い人たちや景色の、生活や物語を想像することが楽しくなった。


あとヒロイン皆かわいかった。

青、なんやかんやモテてるよなふざけんな。


最後はお得意の僻みで締めくくります。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?