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掌編小説「ミツカラナイ」

 
あれから数ヵ月が経ち、知人は未だに思いという水を注ぎ続けているのか、その成長の果実はあったのか、それをこれから打ち明けてみようと思う。
季節は樹木の葉が変色し、落葉をよく目にする秋になった。この日、知人は、彼が応援し続けているアーティストが東京で公演をするということで、仕事終わりに観に行くことを予定としていた。ただ、知人の仕事は急きょ予定が変わることがあり、予め夕方の時間を空けてはいたものの、当日の終業時刻までになってみないと、そのまま急いで支度して帰れるものなのか、残る必要があるのか不確定であり、知人はどこか落ち着けなかった。特にこの日は、出先から一旦事務所に戻る必要があったのだが、運よく急ぎの対応は入らなかったので、定刻となり終礼を終えると、知人は真っ先に事務所を後にし、急いで地下鉄に乗り、渋谷まで向かった。地下鉄の電車は正常に運行していた。混雑することがなかったので、知人は普段の朝の通勤電車も同じように混雑しなければよいのにと思うのであった。東京には勤めに来る人が過密であるのが、日本の当たり前になっている。日によって重い荷物を持ちながら、混雑する電車に乗るのに途中で電車はよく遅延することがある。遅延すると、更に電車は混雑する。こういった状況にうんざりするのだが、そうかといって家を移して、引っ越そうにも住まいが安いところは都心から離れたところにあり、普段向かう拠点が変わらなければ、生活水準を変えない限り状況は変わらないのが常であった。だから、知人が羨ましいと思ったところで自分の行動を変えるまでには至らなかった。
 
 渋谷に着くと、予約していたコインロッカーに明日必要な荷物を置きに行きたかったので、知人は地下鉄からJRの渋谷駅へ向かう必要があった。ところが、駅を繋ぐ横断歩道には人がごった返していた。どうしてこんなに普段よりも人がいるのだろうか、まだ一週間の真ん中なのにと思っていると、電光掲示板や音声アナウンスから情報が流れて来た。渋谷駅を繋ぐ別の地下鉄がトラブルにより運行を止めているようだった。日がすっかり暮れているこの時間には、職場から帰られる人が多いから、件の地下鉄を頼りにしていた通勤客にとっては、別の帰るルートを探さねばならず、バスやタクシーには長蛇の列が並び、知人が乗って来た地下鉄を利用せねばならぬ人もいたのだろう。横断歩道に列の流れを管理する交通警備員がいるわけでもないので、まるで運動会の騎馬戦のように横断歩道の両端から通行人が一斉に前進し、そのせいで知人は身動きが取れなくなっていた。スマートフォンから時刻を確かめると、公演が始まるまで、もう十分もなかった。
 
 なんとか知人は混雑した横断歩道を抜け出し、JR渋谷駅のコインロッカーで荷物を預けることができた。そして、すぐに公演の会場へ向かわねばならなかった。会場は、ライブハウスが密集している道玄坂を上ったところにあった。知人はただひとり、この坂を急いで駆け足で上っていた。小走りで走っていると息継ぎが速くなっていき、段々と走り続けるのが苦しくはあったが、多少の無理をしてでも公演に間に合いたい気持ちがあった。走っている間に知人は思い返していた。確か初めてこのアーティストの公演を観に行ったときも同じように急いで渋谷に向かっていたということに。その日のことをとても印象強く覚えていただけに同じような状況の今に不思議ではありつつもどこか安堵にも似た安らぎを感じるのであった。彼が急いだ結果、公演には間に合うことができた。公演が始まると、ステージ上でアーティストが踊り、歌っている様を知人は他の観客と混じりながら見ていた。時にはステージ上の舞踊を部分的に模倣して踊ったりもした。それがこのアーティストの公演を観る時の楽しみの一つでもあった。歌い手は複数いるので、それぞれのパートに分かれて歌を披露していた。観客のなかには、見物する場のなかに円を陣取り、激しく体を動かし暴れる者、複数の客が一人の客を肩や頭の上に担いで持ち上げてステージ上のアーティストにまで走っていく者等様々ではあった。この日の公演は何をしても自由ということだったので、激しい動きは問題なかったのだが、しっかりとアーティストを見たい知人にとっては一連の行為には煩わしいものを感じたが、仕方のないことと捉え彼自身の楽しみ方で公演を楽しんでいた。
 
 そして、公演が終わると、拍手とともにアーティストはステージ上から離れて、しばらくして別のアーティストが出てくる。この日は複数のアーティストが出演する公演だったので、会場にいる客毎にお目当てのアーティストは異なっていた。全ての公演が終わると、アーティストと話をする機会を設けているので、知人はそれまで、ステージを観る空間からは離れて、会場の入り口近くの廊下で音楽を聴きながら、時間を潰していた。この日は彼にとって、他の参加アーティストの公演を観ることには殆ど興味がなかったのだった。普段、彼は公演の会場に一人で参加しているので、当然、誰かから呼び止められることなど殆どなかった。しかし、この日は違った。知人の目の前に誰かが彼に手を振っているのが見えて、イヤホン越しに声が聞こえた。よく見ると、公演を終えた先ほどのアーティストが偶然通りかかったのだった。一瞬、知人は状況がよくわからなかった。どうして楽しみにしていたアーティスト本人が今、自分の前にいるのか。
どうして自分に対して手を振っているのか、咄嗟に知人が発した言葉は
「え、ええ?」
という感嘆の混じった疑問の語であった。彼の困惑した表情にアーティストたちは笑顔を浮かべていた。
「かわいい」
そう言ってアーティストたちは去って行った。知人には確かに聞こえた。何かしなければとお別れの挨拶で手を振った。全く彼には予期しなかった出来事ではあった。ステージで全出演者の公演を観ていたらこのアクシデントは起きなかっただろう。偶然とはよいものもあれば、わるいものもある。しかし、わるいと思ったこと自身が因子となり、よいことへ繋がることもある。自分より一回りも歳が若いアーティストたちに可愛いと呼ばれて、知人はなんだか遊ばされているような気持ちになったが、それ以外にも色んな気持ちが入り混じってしまって、この出来事に何と感じたか簡単に表せる言葉が見つからないのであった。

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