ハナカワ

好奇心のままに生きてきた結果、こうなりました。

ハナカワ

好奇心のままに生きてきた結果、こうなりました。

最近の記事

繊細な心の必要性

25歳になる私はいまだによく、涙を流してしまう。 おじいちゃんに優しくする孫の姿をYoutubeで見てポロリ。 仕事がうまくいかなくてポロリ。 勝手に人に期待して、期待通りにいかなくてポロリ。 仕事でもよく言われる。 「世の中、もっと厳しい人、意地悪な人はいっぱい居るよ。だから、強くならなくちゃ。」 誰かに何かを否定されることに慣れた方が、仕事が楽になると。 スルースキルを身につけろと。 英語ではThick skinというらしい。直訳すると分厚い皮膚を持つ という

    • お弁当から見えた異文化

      「ブラジルではお弁当を職場に持っていく文化が無い。」 そう断言する同僚を横に、今日も私は手作りのお弁当を食べていた。 お弁当を持ってくる人、コンビニで買う人、レストランでご飯を食べる人。 いろんな「ランチ時間」が存在する私の会社には、いろんな国から来た色んな人が働いている。 その日、日本人の私はお弁当を持ってきていた。 そして、ブラジル人の同僚はランチを買いに行こうと提案してきた。 そこに、カナダ人の同僚は「いいね」と賛同し、 私は彼らの買い物に散歩がてら、ついて行くこ

      • おじさんに救われた話

        その日は雨の月曜日だった。 どんよりとした曇り空。歩く人たちは皆、少し疲れた顔。 そんな人たちの間を歩いて駅へ向かう私は、泣きながら鼻水を垂らしていた。 その月曜日は私にとって悪夢のような月曜日だった。 悪夢は言い過ぎかもしれない。でも、とにかくもやもやしたり、メソメソしたり。 キモチの波がものすごく激しい1日だった。 「なかなか人生、うまくいかないなぁ。なんでだろうなぁ。」 自分の中にある、言葉にできない大きなもやもや、小さなもやもや。 いろんな形のもやもやが、私を少し

        • 幸せと創造力

          幸せになりたいと願い、人々は生き続ける。 しかし、私は幸せになった瞬間に創造力の欠けつを感じるようになった。 なぜだろうか、満たされない気持ちがあると、人間は何かを貪欲に求め走り出す。 しかし、全てが満たされてしまうと、心からの叫びが出てこなくなる。 ずっと幸せになりたいと、願っていたのにも関わらず。 幸せになった途端、急に全てが退屈に、窮屈に感じる。 安定を感じると、人は不安定を求める。 和を乱し、対立することで、生きているということを感じる。 誰かに反抗したり、掟

        繊細な心の必要性

          好きな人と好きなものが違うこと

          今まで、恋愛において上手くいく秘訣は「似ている価値観を持つこと」だと思って過ごしてきた。 自分が美味しいと思うものを相手も美味しいと思ってくれたり、 相手が綺麗だと思うものを自分も綺麗だと思えたり。 事実、好きなものが同じ2人だと 気が合うし会話が弾む。 自分がいいと思うものを、自分の好きな人が気に入ってくれているとすごく心が満たされる。 だから、お付き合いをする人は価値観は似ている人がいいんだと そう疑いもなく思っていた。 しかし、その考えはもしかしたら間違ってい

          好きな人と好きなものが違うこと

          悩みはすぐに解決しなくていいの。

          悲しいこと、イライラすること、やるせないこと。 私たちはネガティブな感情が嫌いだ。 少しでも雨が続くと、憂鬱な気分になる。 他人から否定されると、最初は怒り、後に悲しくなる。 不安がつきまとう環境に身を置き続けると、どんどん自分に自身がなくなってゆく。 何をしても楽しくない。 誰と居ても上の空。 なーんにも考えてない時に、ふと 涙が溢れてきて 止まらなくなる。 早く悩みを解決しなきゃ。 早く元気にならなきゃ。 早く、この状況を変えなきゃ。 そうやって人は急いで悩み

          悩みはすぐに解決しなくていいの。

          人生は電車と一緒

          人生は電車と一緒なのだと気づいた時、 私はうんと生きやすくなったと感じた。 私はただの乗客A。 乗っている電車の名を「私の人生」としようか。 行き先は乗客によって異なるのだけれども、 私の最終的な行き先は未だに確定していない。 でも、その時 その時に行きたい場所はある訳で。 この1年は「仕事で成果を出す」ことを目的地として運転していた。 その数年前は「とにかく知らない場所まで」が私の行き先だった。 そして私が止まる各駅で 時々、誰かが乗ってきたり 誰かが降りて行った

          人生は電車と一緒

          「嫌い」を知ること。

          「好きなことで生きていく」 高校生の頃、私はこの言葉こそが私の人生の指針なんだ と思っていた。 好きなことを持っていることは素晴らしいこと。 好きなことを沢山知っている方がいい。 好きなことさえあれば、自分の人生はキラキラするんだ って。 だから、私はただひたすらに「これ素敵!」と、思うもののみを大切にして生きてきてた。 でもね、それと同時に私は自分の「苦手」なことに対して、ものすごく弱い人間でもあった。 他人の言葉に勝手に傷つき、沢山期待しては裏切られた気持ちにな

          「嫌い」を知ること。

          表現するということ。

          私たちは日々 数え切れないほど、沢山の感情と出会って生きている。 そんな感情をただ、あるがままに眺めることも、感じることも素敵なのだけど、 それ以上に 私はそれを表現することに自分の生きがいを感じる。 自分の心で感じた感情をどんな形でこの世界に紹介しようか? 同じ気持ちの人もいるのかな? そんなことを考えながら、感情の表現方法を考える。 例えば、あなたが何かに「好き」と感じたとする。 もしかすると、その「好き」は安心感から来る好きかもしれないし、未知への好奇心から来る

          表現するということ。

          お弁当に一緒の具材を入れる理由。

          お弁当に一緒の具材を入れる理由。 月曜日は1週間の始まりだからあなたの好きな焼肉。 火曜日はまだ、元気だろうからお野菜多めに。 水曜日は週の真ん中、スイーツを1つおまけね。 木曜日は1番の踏ん張りどきだから、あなたの大好物の唐揚げを。 金曜日はお疲れだろうから、胃に優しいお魚。 あなたの健康を考えながらお弁当を作れること。 あなたの喜ぶ顔を想像しながら具材を詰めれること。 違う場所にいても、おんなじお弁当を食べていると 一緒にご飯を食べれた気分になるの。 「今日の焼肉

          お弁当に一緒の具材を入れる理由。

          少年よ、デジタル化に逆行せよ。

          全てがデジタル化された世界に生きる私たち。 外に出ることなく、ベットから外が寒いことを知り、 自分に似合うか熟考することなく、新しい洋服を買い、 会ったこともない人を写真で判断し、デートの相手に選ぶ。 簡易なのか、脅威なのか。 全てがデジタル化された時、私たちは他を「知る」努力をしなくなる。 もしかすると、それは相手のことかもしれないし もしかすると、それは自分の心のことかもしれない。 「人を知る」「物事の摂理を理解する」には、私たちが思っている以上に時間がかかるこ

          少年よ、デジタル化に逆行せよ。

          セロリについて

          ちょっと苦くて、シャキシャキする。 あんまり主役にならないけれど、 時々、無性に食べたくなる。 セロリっていう歌があったりもする。 冷蔵庫には少し入りにくいんだけど。 あと、あんまりみんなに好かれていない、 癖が強いヤツ。 社会にあんまり好かれてなくて、 会社に収まりが悪い私。 私の歌はないけれど、 鼻歌なら、あるよ。 苦くて、あんまり主役にもならない。 セロリが好きな人がいると、ちょっと嬉しくなる。 あぁ、好きになっちゃいそいう。

          セロリについて

          20代前半の成長

          20代前半 21歳、何かにつまずくと涙が出ていた。 22歳、悩むと「ストレス発散」を求め、 23歳、納得できないことは飲み込まず、友達に話を聞いてもらっていた。 24歳、秋。 悩みも葛藤も、不安も色々あるけれど。 静かにじっと、空を見たり 動きの穏やかな海を見ることで、心が落ち着いてゆくことを知った。 少しずつ、一人で生きる力を知り 少しずつ、私が私らしくなってゆく。 一人で生きる強さを知ると、 誰かと生きる楽しさに気づいた。 今日は少し外が寒い。 人に会いたくな

          20代前半の成長

          責任を取れるから、大人は楽しい。

          10歳の頃、中学生はもうずいぶんお姉さんだと思っていた。 14歳の頃、高校生は自分の知らない世界を知っている大人っぽい存在で。 18歳の頃、大学生はキラキラした大人に見えて、 20歳の大学生だった私の目に映る「大人」は自分の足で生きてゆく、かっこいい社会人だった。 学生を卒業し、今は会社で働く一般的な社会人になったのだけれども。 私は今、大学生の時に憧れていた「大人」になれているのかな? 仕事をしていると、沢山の「大人」に出会う。 優しい大人もいれば、厳しい大人もい

          責任を取れるから、大人は楽しい。

          私の知りたいあなたこと。

          正解を知りたいのではなく、 あなたがなぜ、そう考えるかの「過程」を私は知りたいのです。 あなたに正義を期待しているのではなく、 あなたの「信じるもの」を知りたいのです。 あなたが昨日の雨に何を感じたのか。 美味しいプリンにどんな顔をするのか。 そんな些細なこと。 そんな些細なことを、ゆっくり、じっくり知りたいのです。 でも、隣であなたの声を聞き、私の知りたいあなたを知ってゆくのは 私じゃない、あの子なんだって。

          私の知りたいあなたこと。

          間違っていることを言葉にするのは勇気がいるね。

          雨の日の昼下がり。私はパソコンを開け、いつものようにカフェでお仕事をしていた。最近は雨ばかりで、気分が明るくなるようなアイデアが出てこないなぁ...そんなことをぼんやりと考えながら、コーヒーを一口。 すると一人のおじさんが店内へ。何もオーダーをしないまま、席へ着く あ、喫茶店スタイルだと思っているのかな?そうか、カウンターでオーダーするってそれも彼らの年代にとっては新しいことなのか...。 すると、一人の店員さんがおじさんの席へ。 「ご注文の方は、レジにて先にお願いを

          間違っていることを言葉にするのは勇気がいるね。