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梁原 立寛の履歴書

こんにちは!梁原 立寛(りょうはら たつひろ)です。

はじめましての方も、昔からご存知の方も、どうぞよろしくお願いします。こちらのnoteを通して、できるだけオープンに、等身大に、僕のことをお伝えできればと思います。

何を思い立ってこんなnoteを公開したんだ、と思われた方、非常に勘が鋭いですね。真の目的は、いろいろなサービスでアカウント登録・プロフィール設定をするのが面倒だなぁと思うようになりまして、このnoteのURLをペタっと貼り付けるだけにすることなのです。目標は「梁原立寛」とGoogle検索したときに、このnoteがトップ表示されることです。(打倒Twitter!)

📋梁原立寛の基本情報

※2021年9月1日現在

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氏名   梁原 立寛(リョウハラ タツヒロ)
生年月日 1986年1月10日生
現住所  東京都目黒区某所
メール  r.tatsuhiro[at]gmail.com
実家住所 京都府京田辺市某所

男だらけの4人兄弟(!)の三男坊として、「ひらパー兄さん」のおかげで全国に知られた大阪府枚方市(「ひらかたし」と読みます)に生まれ育ち、18歳まで住んでいました。名前の由来は「派」で「大」な人間に育つように、という両親の想いで、一生をかけて名前負けしないように日々がんばっています。
あだ名・ニックネームは、ふつうに「りょうはら」が最有力で、つづいて「たっちゃん」、家族からは「たっしゃん」と呼ばれています。

大阪のことは好きなのですが、おすすめポイントを聞かれると「安くてうまいメシ!」と、吉野家と変わらない答えしか返せないことに気づいてからは、「実家はどこ?」と聞かれると「京都です」とお答えすることにしています。(ウソじゃない)
今は東京都目黒区在住で、最寄りは自由が丘駅です。(すみません、これも本当は東急目黒線の大岡山駅か大井町線の緑が丘駅、あるいは東横線の都立大学駅なのですが、はじめての方にはかっこつけて自由が丘在住ぶっています)

🎓学歴

1998年4月〜2001年3月
枚方中学校(大阪府)

2001年4月〜2004年3月
灘高等学校(兵庫県)

2004年4月〜2008年3月
東京大学 文学部 言語文化学科 英語英米文学専修課程

中学校はいわゆる市立(公立)の学校でした(枚方中学校、略して「ヒラチュー」と呼びます)。実は中学校に進学するにあたって、母親(以下「オカン」という。)から私立の同志社香里中学校を勧められ、受験していたんです。小学校から学習塾に通っていて、真面目だったのでそこそこ成績が良く、(中学受験専門の勉強はしていないけど)受かるんじゃないかと。結果は見事に不合格。小学校や塾での勉強内容とまったく毛色が違って、箸にも棒にもかからなかったんですね。そしたらオカンが、「たっしゃんが受験に落ちて落ち込んでる‥‥」と壮大な勘違いを起こし、高校受験の進学塾に勝手に申し込みをしました。
馬渕教室の「創駿会」というコースで、いまHPを見てみても「灘高校・東大寺学園高校など全国最難関高校を目指す馬渕教室最高クラス」とありますね。URLも「〜/nada/」となっていてビックリなんですが、「えっ、成績の良い男子なら灘に行くでしょ」って感じの空気で、見事に空気に飲まれて灘高校に進学しました。

いやいや、高校進学まででこんな長文になるのは一番僕がビックリしているんですが、つづけます。お仕事関係の方は「職歴」までビューーーンとスクロールして飛ばしてください。

【高校編】
右を見ても左を見ても男子校で、ご多分に漏れず、異性との交流が一気に苦手になりました。入学後まもなく、できたばかりの友人から「ラグビー部に入らないか」と勧誘を受けました。すみません、履歴書に身長・体重を書く欄がなかったのではじめてご紹介しますが、僕は身長178cm、体重は50kg台の“ガリガリ”なんですね。なのでラグビー部に勧誘されて驚きを隠せなかったんですが、どうやらラグビーには足の早い人が活躍できるポジションがあると。(いまでこそフォワードやバックス、ウィングやセンターって用語を知っていますが、当時はまったく知らず)
しかも、部員が合計14人しかいない。ラグビーは15人制なので、試合に出るためにはもう一人の部員が必要なんだ。りょうはら君、「ラグビー部に入らないか」と。当時から困った人は助けたい性分でして、見事に心を掴まれて入部しました。(1年経って、中学から進級した部員が大勢いて、華麗なるスタメン落ち。颯爽と退部しました笑)

学業面では、「1を教えて10を学ぶ」(って先生自ら言っちゃってた)ような天才集団に囲まれ、「えっ、成績の良い男子なら東大に行くでしょ」って感じの空気で、見事に空気に飲まれて東京大学に進学しました。
関東では知名度あんまりかもですが、灘→東大ってご紹介すると「むちゃ天才やん」的な目で見られるんですね。しかも浪人もせずストレートですか、と。たしかに受験勉強はがむしゃらにがんばったんですが、がんばれた理由はただひとつ。「親孝行」でした。100点とかって書かれたテストの解答用紙をオカンに見せると、すごい喜んでくれたんですよね。「勉強しなさい」とは人生で一度も言われたことないですが、ただただオカンの笑顔が嬉しくて、がんばってました。なので、学歴に関しては僕の意志ではなく、両親のおかげ、です。

なんとなんと、対面ではいつもお話しするようなエピソードを端折りに端折ってこの長さです。つづいて大学編。

【大学編】
はじめて親元を離れ、上京。東京大学は前半の2年間が渋谷近くの駒場キャンパス、後半の2年間が文京区の本郷キャンパスでした。本当に有り難いことに親から仕送りをしてもらい、家賃も負担してもらい。ただただスネをかじらせてもらったキャンパスライフ。
働くのは卒業してからでも存分にできる。でも学生生活は今だけ」と、オカンから入学後にもらった“金言”を真に受けて、学生時代にしかできない贅沢な時間の使い方をできたんじゃないかなぁと思います。家族に感謝感謝です。

小学生のころから「僕は学校の先生になりたい」と夢を語っていたらしく(オカン談)、その夢をピュアに温めつづけていた梁原立寛くん(18)。東大に入りたかった最大の理由は、「学歴なんて大切じゃないよ」と、未来の生徒に言ってあげるために、しかもそれが“負け惜しみ”にならないようにするため。そして東大のなかでも文学部(正確に言うと入試時点では「文科III類」)を選んだのは「英語の教員免許がとれるから」だったんですね。なので、教員免許に必要な単位は粛々と取得しながらも、いわゆる就職活動には精を出さず、自己分析も業界研究も知らずに、記念受験みたいな感じで電通・博報堂やリクルートにエントリーだけしていました。(いま思えば本当に失礼な学生だったなぁと。ご迷惑をお掛けしました🙇🏻)
大学卒業後、晴れて小学校からの夢を実現して教壇に‥‥とはならず、“最高学府卒のフリーター”の道を歩むことになります。次のブロックへつづく。

おそらく数千字を費やして、ようやく大学を卒業できました。おとうさん・おかあさん、ありがとうー!!!

👔職歴

2008年4月〜2010年3月
スターバックス・コーヒー 六本木ヒルズ ウエストウォーク店

2010年8月〜現在
47株式会社 → 47インキュベーション株式会社

【スターバックス・コーヒー編】
誤解されがちなのが、東大卒でスターバックスへ、ってご紹介すると「本社勤務」って勝手に思われるんですね。(ちなみにスターバックスでは「本社」のことを「サポートセンター」って呼びます。あくまで主役は店舗だと。ほんと、素敵な会社です)
実際はいわゆるアルバイト、でして、当時のステータスとしては「フリーター」です。「中学校の英語の先生になって、生徒たちを前に教壇に立つというのに、一度も社会に出たことがないのはおかしいんじゃないか」と何を今更なことを思い出した梁原立寛くん(22)。かといって就職活動でいきなり「御社は‥‥」って語り出すのは無理だったんです。この「無理」を言語化するのは今でも苦労するんですが、強いて言うなら、就職活動が「嘘まみれ」に見えて仕方なかった。その中に身を投じることに強い拒否感があって、自分の歩むべき道を踏み外してしまうんじゃないかという恐怖があった。そんな感じですかね。
いっそのこと、世の中が描いている人生のレールから、飛び出してしまおうと。灘→東大の文系学生なら、官僚になったり大手企業に入ったりするんでしょ、という“決めつけ”から逃げる勇気を持とうと。その進路自体に価値はないけれど、レールから飛び出しても「だいじょうぶ」と、人生でもって証明できれば、きっと誰かの勇気に繋がるはずと、その時の自分なりに一所懸命に考えて、決断したんですよねぇ。

当時の僕にとって、「働く」ということにポジティブで、きらきら輝いて見えたのがスターバックス・コーヒーで働く店員さんでした。(ちなみにスターバックスではスタッフのことを「パートナー」って呼びます。上下ではなく、フラットな関係だと。どれだけ素敵な会社なんですか)
そのなかでも、なんとなく華やかに思えた六本木ヒルズ(はじめて上京したときに訪れたのがオープンしたての六本木ヒルズだったかも!)の店舗を選んで、アルバイトとして応募して、無事に採用していただけました。
その六本木ヒルズ ウエストウォーク店での思い出は本当に本当に大切で、最高の仲間たちに恵まれて、激動の2年間を送りました。なかでも、ストアマネージャー(店長)のふるやんにはむちゃくちゃお世話になりまして、まさに人生の恩人です。もう語りたい話は山ほどあるんですが、当時の仲間たちも今ではいろんな舞台で、それぞれ“らしく”活躍していて、なんだか思い出話をするのは粋(イキ)じゃない気がするので控えておきます。ウエストのみんな、また飲もう!

スターバックスを卒業してから約半年間、人生の夏休みと称して、実家に帰省していました。いまは天国にいる、母方のおばあちゃんが大の写真好き(見る方じゃなくて撮る方)だったんですが、人生で撮りためた家族写真を一緒に整理するという大プロジェクトを敢行したのがこの期間。思い出すといまでも泣きそうになるけど、人生でいちばん笑顔を見た夏休みでした。

【47株式会社 → 47インキュベーション株式会社編】
そもそもこの「履歴書」を書き始めたのは、このパートを書くためだったんですが、よく考えたら現在進行系の物語なので、まだまとめきれない笑。
※随時更新、ってことで逃げます!!!

スターバックスを卒業して、今でこそ「第二新卒」って言葉があったりしますが、当時は一般的ではなかったんじゃないかなぁと思います。就職活動も、最近でこそ通年採用とかも増えてきてますが、ぜんぜん多様性がなかった。はず。
何が正解かもわからないまま、リクルートエージェントさんにお世話になって、求人情報をご紹介してもらいました。東大を出て、スターバックスでフリーターを2年間やっていた「よくわからないやつ」だったはずで、そのままキャリアに延長線を引いて飲食系のお仕事をたくさん紹介されたように記憶しています。

スターバックスでは、「人と働く」ということの楽しみ・喜びを知りました。それまでの、いわゆる受験戦争では、基本的にすべてが「自分との戦い」だったんですね。自分が努力をして、正解を答えられさえすれば、常に結果は良いものだった。それが、わずかな就職活動を通して、自分が頑張っても相手に求められなければ(ニーズに応えられなければ)、結果は出ないんだってことを知りました。書いててバカらしくなるぐらい当たり前なことなんですが、当時の僕にとっては頭をガツンとやられるぐらいの衝撃だったんです。自分の頑張りなんてのは世界にとってちっぽけなもので、相手あっての、関係あっての世の中なんだと。
自分だけが頑張るんじゃなくて、チームでコラボレーションをして、価値提供先のために最高のパフォーマンスを発揮する。そんなことを、最初は無意識に目指して、徐々に徐々に自覚的になって、最後には「やりきった」と思わせてくれたのが、スターバックスでの2年間でした。

さぁ、そのあとに何をしよう、と考えて導き出した結論が「インターネットでがんばろう」でした。スターバックスでは、店舗にいらっしゃったお客さまに、一杯のラテを通して笑顔になってもらうことができる。でも、次のステージでは、自分はもちろんのこと、チームでがんばったことが、目の前のお客さまだけでなく、インターネットを通してたくさんの人に広がるような。届くような。そんな仕事をしたくて、「インターネット」をキーワードに求人情報を眺めていました。
そこで見つけたのが「47株式会社」。最初の印象は「変な社名」でした笑。いろんな会社名が並ぶなかで、数字だけってのが斬新で、自然とクリックしてHPを見て、創業者のブログを読んで‥‥って気づいたらほとんどの記事を読み終えてました。本当に魅力的な文章を書く方で、今でも大好きなんですが、とにかく「ビビッ」ときて、すぐに応募していました。
当時は大阪にいたので、選考のために上京して、一次面接でいきなり代表自ら会ってくれました。「大阪から来てるんでしょ?また来るの大変じゃん」と言ってくれて、連日の面接。本当に有り難いことに、「よくわからないやつ」を採用していただけました。そのリスクをとって、勇気をもって僕を信じてくれた宇垣さんには心から感謝しています。人生の恩人2人め。
47株式会社に入社後、とにかく「山あり谷あり」で。津川さんという人生の恩人3人め。そして阿久根さんという人生の恩人4人めにも出会うことになるわけです。(人生の恩人、多すぎ?笑)
そのあたりの話は、またの機会に。(2019/11/27現在)

🚗資格・免許

・普通自動車第一種運転免許(AT限定)
・TOEIC 895点

僕らの世代でオートマ限定って結構恥ずかしいかもなんですが、嘘もつけないんであえて書いちゃいます。たしか免許講習に通うのが億劫で、期間的にミッション免許の取得が厳しくて途中で切り替えたはず。一つのことに集中するのは得意なんですが、同時に複数のことをやるのが苦手でして、ミッションは難しかった😭
TOEICはたしか就職活動に役立つから、みたいな下心で受けたはずです。なので2008年とかのスコアかな?じゃあ書くなよって話なんですが、英語は得意アピールをしておきます。大学入試のセンター試験では満点でした💯

⭐️志望動機(あるいは、人生のミッション)

人生のレールをぶっ壊し、幸せに生きる選択肢と可能性を増やす。

いつか変わるかもですし、変えないことにこだわる必要もないと思ってますが、少なくとも今はこれです。「幸せに生きる選択肢と可能性」はぜったいに増えた方が良いと思いますが、「人生のレールをぶっ壊し」っていうのが僕らしいスパイスかなぁと思ってます。これまでも、これからも、自ら体現しないとなと、あらためて。

🏀趣味・特技

ラグビー観戦🏈(ラグビーW杯2019日本大会で「にわか」度が増しました)
カフェ巡り☕️(おいしいコーヒーを飲みながらスマホいじってるのが至福)
犬の散歩🐶(ノーフォークテリアを飼っています。ただただラブです)

バスケットボール🏀
小さいころ、家族みんながバスケ好きでした。特にマイケル・ジョーダン。今ではたまにしか観なくなっちゃいましたが、NBA観戦が大好きでした。実はこのnoteやTwitterのアカウントなどが「ryodan」「ryodan23」なんですが、これは ジョーダン と りょうはら を掛けてるからです。「23」はMJの背番号で、いつも銭湯の靴箱では23番を狙います。

📝本人希望記入欄(あるいは、まとめ)

いま働いている47(よんなな)は、すごくオープンな会社だと思います。ただ、僕自身がオープンになりきれていない“もやもや”がずっとあって。こんな想いで、こんな考えで、仕事をしてますって表明をしないと、いつか後悔してしまうと、筆を執りました。

結果的に一番だいじな47でのストーリーや仕事観を書かずに筆を置くという暴挙に出ますが、まぁそんな気まぐれさも「僕らしさ」ということで。失礼いたします。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!!


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