露天風呂のおじいさん

露天風呂で本を読んでいるおじいさんと出会った。
露天風呂のヘリに座り、分厚い茶色の表紙の本を読んでいた姿があまりにもかっこよかったのでじっと見てしまう

本は年季が入っていて、あと数十ページで読み終わりそう。
四角いメガネに、頭にタオルを乗せて、乾いた素手で本を読む。
脇には黒いナイロンの小さなバッグがあって、ビニール袋ともう一つタオルが見える。バッグの脇にはペットボトルの緑茶がある。

おじいさんの本が濡れないようにゆっくりと露天風呂に入って、中央に移動する。その時は正面を向いていたおじいさんが気づいたら、斜めに座っている。

こうやって人様の様子を眺めてどんな人か想像するのが好きだから、

妄想してみよう

おじいさんが斜め向いたのは、明るい日当たりのいい方を向きたいから?いや、雨降ってるからそれはないな。
子どもたちが遊びまわり始めたからか、本が水飛沫で濡れないように向きを変えたんだろな。

バッグに入ってるタオルも手を拭くためのもの

なんで寒い日に中じゃなくて外で呼んでるか?本が湿気でふにゃらないため。

おじいさんは、
「手と本を常にドライにしておきたい」
ってのが分かる

お茶を置いてるのは、ある程度じぶんが満足できる長い時間ここにいたいから。

おじいさん、かなりの手練だ。

あの本の分厚さと年季の入り方、ある程度繰り返し読んでいるくらい好きな本。
長い間、本を大事に持っているってことは、家にしっかりとした本棚がある。
そんな重厚な本棚をおけるのは持ち家だよな

ああ、こういうフィールドワークや観察から読み取れることってかなりあるなあ

思えば、マツダでデザイナーだったあの先生も、SONYでデザイナーだったあの人も、街歩きやフィールドワークをよくやっていたと聞いていた。

いやまてよ。
違うだろ。

それはスマホ以前の時代の話やん。
人の服装や、持っている物、振る舞いから多くを読み取れた時代だっただけだ。

スマホになって、コンピューターと人のインタラクションを考えねばならない時代になってからは、ぱっと見じゃ理解できないところでやり取りがある。
だから、被験者に口頭で思ったこと感じたことを話しながらシステムをテストしてもらうプロトコル分析みたいな手法が生まれたんだ。
だから、視線の分析やデータ分析が盛んになった。
人の反応は心や頭の中で起こっていることが多くなった。だから、認知心理学が大事なんだ。

スマホを見ている人がどんなコンテンツを見て、どんなことを考えているかは分からない。
表情に出ないことも多いし、動くのはわずかな視線と親指のみ。

そこは勉強はしていたけど、フィールドワークが単純に好きだったし、大事なことだと思っていた。でも、それが曖昧な認識だったと気づいた。

大事なのは、ものづくりをするためにユーザーの事を知る事、共感する事。
手法の好き嫌いやノスタルジーは邪魔になる

そんな気づきと反省をしながら、でももっとおじいさんの事が知りたくなった。

一体何の本をそんなに熱心に読んでるんだ?

近くに座って見てみる。
岩陰に本のカバーが置いてある!
「徳川家康〈?〉」って書いてある!巻数は見えない。たぶん、上下とかシリーズものなのかな。

NHKで「どうする家康」やってるし旬のテーマを選んでここで読書してるのか
オモロー

そうやってるうちに読み終わりそうだ。
せっかくだから、一言くらい話してみたい
でも何て声かけよう
もう知ってるけど「何読んでるんですか?」かな

そうこうするうちにおじいさん読了

意を決しておじいさんに声かける
「熱心に読まれてましたね。何読んでたんですか?」

徳川家康で6巻目...!!!
全12巻あるシリーズで、NHKの大河が始まる前から読んでる。
1日2、3時間こうやって温泉に来て、本を読む。
土日はココで、平日は別の温泉で呼んでる。

良い過ごし方ですねー
どうもー
と言って風呂をあがる

おじいさんの最高のchillを学びながら
ユーザーを知る事、その本質忘れたらいかんなーとか色々考えられた時間やった。

なにはともあれ
温泉さいこう

フィールドワークやエスノグラフィーリサーチを否定してません。逆にぼくはそういった考え方が大好きですし、リスペクトしています。ただ、曖昧にただただ良いこと、という理解ではいけないなーという反省でした。
温泉さいこう!


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