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昭和の子どもが熱を出したら

1週間前、とうとうコロナになった。順番が回ってきた感じだ。いまは近所の診療所でもすぐ診てくれるようになったのは有難い。「ただの風邪」なのかインフルなのかコロナなのか、あるいは別の変な病気なのか、わからないまま発熱してる状態というのは精神的にも結構シンドイわけで、2~3年前ならこれで医者に行こうにも事実上「来るな」と言われていたのだから、当時罹患した皆さんは本当に大変だったと思う。

今回はすぐに処方してもらった経口薬のおかげか、私の熱は上がっても38度台前半どまり。4日目には平熱に戻り、6日目の今日は若干の喉の違和感と咳が残るくらいまでに快復している。たまたまこの間は仕事の予定がほぼ無く、遊びの約束しか入っていなかったのは幸か不幸か。いっしょに遊んでくれるはずだった友人知人の皆さんには本当に申し訳ないことをした。この場を借りて改めてお詫びします。

noteに初めて載せる雲以外の写真は、3日間食欲ゼロの後、4日ぶりに「飲みたい」と思ったコーヒー。発熱中は「身体に入れたい」と思うものの種類がガラリと変わるのが面白い。

発熱自体はもちろん馴染みの深い経験である。直近では昨年のワクチン副反応以来だったが、それ以前の半世紀以上、数年に一度はいわゆる「風邪」をひいてきた。生まれてこのかた私はいったい何回くらい、体内に侵入した異物を殺そうと発熱してきたのであろうか。

子どもはよく熱を出すというが、それは今も昭和も同じ。私には3つ違いの弟がいて、幼い頃は片方が風邪をひいたら大抵二人とも轟沈だったはずだ。当時は熱を出すと、兄弟で寝ていた二段ベッドではなく、両親の寝ていた大きなベッドに移され、氷枕と氷嚢をあてがわれた。氷枕とはゴム製の湯たんぽみたいなもので、中に氷水を入れて口を金属のクリップでカチッと留めるようになっていた。氷嚢は医療用手袋みたいな薄手のゴム素材でできた風船形のもので、そこに氷水を入れ、口を縛って金属の支柱に吊るし、額に載せる。支柱はコの字型になっていて、長い方の下の辺を氷枕の下に差し込んで固定するのだ。

アイスノンとか熱さまシートとかが普及する前の話である。今でも子どもが熱を出したら親は大変だが、昔は輪をかけて手間がかかったのだなと思うと、あらためて親には感謝しかない。その親は、熱で朦朧とする私たちの口に時折、グレープフルーツかなにかの搾り汁をスプーンで流し込んでくれて、それが文字通り身体に染みわたる気がしたのを記憶している。

ちなみに、この機に少々調べてみると、白元がアイスノンを発売したのは私が生まれた翌年の昭和40(1965)年だそうだ(NTTコム「ニッポン・ロングセラー考」。このかなり興味深い記事を読むと、アイスノンは当時の冷蔵庫の爆発的普及とともに「短期間で人気商品となった」とある。だから、上の話を「アイスノンが普及する前」というのは必ずしも正しくないかもしれない。店に行けば売っていたが、我が家の場合は氷枕や氷嚢といった「旧式」の道具でも使えるうちは使おうという倹約精神の顕われだったのか……(記事によると、大卒の初任給が約2万円の時代にアイスノンの発売価格は300円だったそうだ)。

さて、このたびのコロナ発熱中に活躍したのは、アイスノンのような商品ではなく、後にそれこそ爆発的に普及した「保冷剤」だ。手の平サイズのものから単行本サイズのものまで、なにかのオマケで付いてきた保冷剤が冷凍庫にいくつも放り込んであったのだ。もちろん専用商品のほうがいろいろ使い勝手は良いに違いない。が、私の場合も倹約精神が勝ったのであった……

昨日の空。火照りで疲れた身体に夕刻の風が気持ちよかった。日の入りが早くなってきた。


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