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昭和にはいなかったバス運転手のおかげで

月に一度の帰省時は、JR川崎駅から10分ほどバスに乗る。子どもの頃からお世話になっている川崎市営バスだ。そのバスで最近、非常にエンタメ精神に富んだ運転手さんと稀に遭遇する。

昨日乗ったバスも「当たり」だった。乗客が降りようとすると「本日、外はトロピカルな気温です。お気をつけください」「バスの屋根で目玉焼きが焼けるくらい暑くなっております」。駅が近づいて信号待ちが続くと「お急ぎのところ信号待ちばっっっっっかりで誠に申し訳ございません」。私などは一人で乗っていても思わず笑ってしまうが、他の乗客は何事もなかったかのように平然としている。不思議だ。

この運転手さんのアナウンス、なかなか情報量も多い。「日本で3番目に開業した鉄道駅、川崎駅に到着いたします」と聞いたときは、へぇそうなのかと思い、調べるきっかけになった(品川、横浜に次いで明治5年(1872年)開業)。そして昨日は、途中の「川崎小学校前」というバス停手前で「あの坂本九さんの母校、川崎小学校前です」。え、まじ? 60年近くこのバスに乗ってきて、恥ずかしながら初めて知った。

もっとも、私が毎日乗っていた時代はたしか違う名前のバス停だったと思う(そして私自身は小学校から隣町の私立に通わされたお嬢様だったので、地元の学校に疎かった)。でも、たとえ名前が同じだったとしてもアナウンスで教えてくれるような運転手などいなかったから、興味を持って調べない限り知る由もなかったのだろう。

改めて調べると坂本九さんは昭和16年(1941年)生まれ。私の母の4つ歳下だ。今の若い人でも代表曲の「上を向いて歩こう」くらいは知っているのではないか。コロナ禍中によく歌われたとも聞く。亡くなったのは昭和60年(1985年)8月12日。御巣鷹山に日航機が墜落したあの事故は、もう40年近く前になるのか…… 。

当時の私は遊び盛りの大学生で、世の中のことなどまるで無頓着な、文字通り世間知らずであったが、流石にあの大惨事のことは覚えている。世代的に坂本九の歌を聴いて育ったという訳ではなくても、九ちゃんが乗っていたというニュースはショックだった。

来月はその命日だ。お盆にまた帰省したら、川崎小学校前で降りて校門まで行ってみようか。そんなホッコリした気分になれたのも今どきの運転手さんのおかげである。

この空は実家近くのバス停にて撮影。




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