慶長3年(1598)8月5日は秀吉が五大老、五奉行に幼い秀頼の後事を託す遺言状を残した日。家康と三成も誓紙を交換したが翌年秀頼の傅役前田利家が亡くなり歴史は関ヶ原へ向かう。利家が亡くなったすぐ翌年の話なので、抑え役が居るかどうかで状況が大きく変わる一つの例なのかもしれないですね。

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