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慶長4年(1599)閏3月3日は豊臣政権の五大老・前田利家が死去した日。若い頃から信長に仕え後に一貫して秀吉を支えた。前年8月に秀吉が死去し年末頃からは利家も病がちだった。政権内の武断派と文知派を仲裁し家康を牽制できた最後の人ですね。抑え役が退場すれば人間関係のトラブルばかりと。

慶長3年(1598)8月5日は秀吉が五大老、五奉行に幼い秀頼の後事を託す遺言状を残した日。家康と三成も誓紙を交換したが翌年秀頼の傅役前田利家が亡くなり歴史は関ヶ原へ向かう。利家が亡くなったすぐ翌年の話なので、抑え役が居るかどうかで状況が大きく変わる一つの例なのかもしれないですね。