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一度も負けなかったのに自分は名将ではなかったという朝倉宗滴の名将の定義とは?

こんにちは、両兵衛です。
ここでは現代の私たちにも通じる戦国逸話を取り上げています。

今回は朝倉宗滴という武将の言葉を取り上げます。
宗滴は越前一乗谷を本拠とした朝倉氏の当主を3代に渡り支えました。なんと79歳で亡くなる直前まで戦に出陣し、負けたことがなかったと言われる名将です。

宗滴の言葉は以前ここでも一度「武者は犬ともいえ、畜生ともいえ、勝つことが本にて候」という言葉を取り上げました。今回も同じ「朝倉宗滴話記」に出てくる言葉をご紹介します。

功者の大将と申(もうす)は、一度大事の後(おくれ)に合(あい)たるを申す可(べ)く候。我々は一世の間、勝合戦ばかりにて、終(つい)におくれに合はず候間、年寄候へども、功者にては有間敷(あるまじく)候事。

「功者の大将」とは名将、「大事の後」は大敗北という意味です。つまり、名将というのは、一度大敗北を経験した者をいう。自分は勝ち戦ばかりで敗北を経験しなかったので年はとったけれど名将になれなかった。といったところでしょうか。

傍から見れば、一度も負けたことがないのに自分は名将ではないなんて何を謙遜してと言いたくなります。でも宗滴の考える名将というのは違うのですね。負けてこそ得られるものがあり、次は負けないようにと考え努力して成長する大将こそが名将であると考えていたのでしょう。

そこで思い浮かんだのが、前回とあり上げた徳川家康です。自らの成長のためには周りに強敵が必要であると説いた逸話を取り上げました。強敵であり軍略の師とも考える武田信玄を相手に三方ヶ原の戦いで大敗北を喫し、多くの家臣を失い、代わりに多くのことを学び戦国最後の勝利者となりました。

宗滴のいう名将となるためには負けることで得られるものから成長することが必要。ふと自分事として考えたとき、負けを恐れず戦っているか、行動しているか。そもそも足りていないのはそこかもしれません。

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