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判断を熟慮し過ぎるとどうなってしまうか。龍造寺隆信の逸話。

こんにちは、両兵衛です。
ここでは現代の私たちにも通じる戦国逸話を取り上げています。

先日、用事を済ませて途中にあった沓掛城址公園に立ち寄りました。
永禄3年(1560年)5月19日、今川義元はここを出発して桶狭間で織田信長率いる織田軍に討たれました。

義元のように戦国大名で戦死した武将はそんなに多くはないのですが、次に思いついたのが沖田畷の戦いで討たれた龍造寺隆信りゅうぞうじ たかのぶです。

合戦で討たれたというと今一つな武将と思われるかもしれませんが、「肥前(佐賀県、長崎県)の熊」や「五州二島の太守」と呼ばれ、戦国時代の九州を三分した一角として島津氏、大友氏とならぶ戦国大名でした。

今回は逸話集『名将言行録』に載っている隆信のことばを取り上げます。

隆信曰く、分別も久しくすればねまると。

「ねまる」というのは地方によって意味が異なる言葉のようです。東北では「座る、ひれ伏す」という意味のようですが、九州では「腐る」という意味になるようです。

つまり、「判断も熟慮し過ぎると腐るものだ」ということ。

私はどうもいろいろ余計なことを考えるたちで、例えば久しく会っていない人に自分から連絡を取ることに躊躇することがよくあります。

以前お世話になって、その後なかなかお会いする機会がなく連絡もできない人がいました。先日、ほんのちょっとしたことがきっかけで連絡を取りお会いしてお話することができました。

また、他にも連絡しづらいと思い込んでいた人が、このnoteをフォローしてくださったことがきっかけで、お礼とともに連絡できたということがありました。

私の場合は熟慮というよりどう思われるかという思い込みがぐるぐると回っていただけなのですが、タイミングを逃してしまうと、どんどんやりづらくなってしまうことって多いですよね。

そんなことから、目についた龍造寺隆信のことばを今回は取り上げてみました。

隆信は、子どものころ寺に預けられて僧になったのですが、祖父と父親が主君に対する謀反の嫌疑をかけられ誅殺されてしまいました。

その後、還俗して家の再興を果たし、肥前統一、五州二島の太守となり九州三強の一つにまでなるのですが、そこまでなるのは常に好機を逃さず「ねまる」前に果敢に行動したからなんでしょうね。

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