チームに要らないメンバーなんていないんだという堀秀政の逸話
こんにちは、両兵衛です。
適材適所って言葉がありますが、どんなチームにもメンバーそれぞれの役割があって要らない人なんていないんだという戦国逸話があります。
堀秀政という武将がいました。
信長の側近として頭角を現し、秀吉が関白となった後の軍功により越前北ノ庄(今の福井市)を治めました。有能で何でも器用にこなした武将でしたが、人を使うのことが上手だったといいます。家臣の身分によらず彼らを理解することを第一としたため、下の者で秀政に恨みを持つものはいませんでした。通称が久太郎だったことから「名人久太郎」と呼ばれた秀政の逸話です。
秀政には、いつも泣いているような顔つきをした家臣がいました。
涙が漏れ眉をひそめているので周りの者たちが嫌がってこう言いました。
「あの男の顔は不吉で見るに耐えられません。他家からも笑いものにされていることですし、早く暇を出してはいかがでしょう」
しかし、秀政はこう答えました。
「お前たちの言うことももっともだ。しかし、法事や葬儀の使者として遣わすにはあの男以上の適任者はいないと思わんか。大名の家にはさまざまな家臣がいてもいいのではないか」
もし、チームで活躍できていないメンバーがいるとすれば、適所を見つけることのできないリーダーの見る目の問題かもしれません。ましてや使えない奴だと平気で公言するようなリーダーは、自らの無能ぶりを示しているだけと名人久太郎なら言うかもしれませんね。
ヘッダ画像は現在の小田原城天守ですが、歴史の教科書では秀吉による天下統一はこの小田原城攻めにより成ったとか書かれていませんでしたっけ。この陣中で、秀政は病により亡くなりました。38歳の若さだったのですが、文中のイラストは自らの筆とされる肖像画をもとに描かれているもの。そう考えるとこの肖像画やけに老けていませんか…絵の才能の方はどうだったんでしょうね久太郎さん。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?