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可能性の文学に魅せられて~池澤春菜『わたしは孤独な星のように』を読んで~

 声優の池澤春菜さん、敬愛しております。幼少に『マリーのアトリエ』をやり、『キミキス』の摩央ねえちゃんを気に入り、ただKOFの麻宮アテナは「池澤さんだし、練習しようかな」と思い立ったはいいが、ちょっと扱いきれなくて…といった具合に、声優としての池澤春菜さんは、偶然にも、小さい頃からのお気に入りのキャラクターの声を演じられていた。
 ただ、敬愛するというまでに魅せられるキッカケは学生の頃、BSフジでやってた『原宿ブックカフェ』にレギュラー出演されてたことがやはり大きいと思う。端的に言うと、「こんなにも本が、SFが好きな人だったのか!」とその時初めて知った。
 その後の著書である『乙女の読書道』は、自分も昔から馴染みある作品についてたくさん語られていて、本当に楽しく隅々まで読んだし、『はじめましての中国茶』は、中国の茶葉に興味が湧いたキッカケにもなった。そして、SFが好きな自分にとって、ハイテンションで読んだのは『SFのSは、ステキのS』シリーズであった。

 このエッセイで語られているとおり、まさに、筋金入りのSFファンである彼女が、今回出版したSF短編集が『わたしは孤独な星のように』である。

 本の装丁、手触りまで美しい彼女の短編集。そこに収められた物語の一つ一つは、今までメディアやキャラクターを通して見てきた池澤さんの世界観そのままだった。

 まず、登場人物の大半が池澤さんの声で再生される。女子高生のキャラクターなんか顕著である。これは自分が今までの人生で聴いてきた池澤さんの演技が自然に投影されてるのかもしれない。
 そして、笑ってしまったのはここに書かれている物語にはしっかりと、古典SFがガチで好きな人らしいエグさがちゃんと表れていたことだ。
 1作目の『糸は赤い、糸は白い』からフルスロットルだったと思う。これは謂わば未来のコミュニケーションの在り方の話だ。そして、そのコミュニケーションの要は、頭に埋め込まれるキノコの菌である。人と菌の共生については、まるで洋画のオープニングのような背景と設定の説明があり、その先で書かれるのは女子高生の、同性間での愛情だ。不思議と、菌を伝うコミュニケーションと女性の愛情には上手いハーモニーがあると感じて、「この発想は無かった!ってか、絶対キノコとSFが大好きな女性しか思い浮かばないだろ!」と手を打った(「キノコのコミュニケーション?それってバイオ8っぽい感じ?」みたいな連想をしてたのは内緒である)。
 その後も女の子は海洋生物になっちゃったり、具体的に南米を舞台にした話が出てきたり(確か留学されてた期間があったはずだから、その時のインスピレーションかなと感じた)と、彼女のリアルと空想を味濃いめで味わえた。
 そして、一番気に入った作品は『Yours is the Earth and everything that’s in it』だ。これはこの本の中でもかなりリアルに舵を切った、過去作で彼女の言っていた『その時代から見える、可能性の文学』だと感じた。
 時代は今から過去、そして今へと戻ってくる。マザーのような人工知能と共生しなくてはいけない世界の中で、そうではない生き方をする集落でのお話だ。池澤さん自身は、確か中国に留学されてた時期があったと思う。中国の電子決済システムの普及している様子とかを見て、このお話をイメージしたのかなと考えながら読んだ。
 偶然にも、このお話に登場する、人工知能と距離を置いて生きていたい主人公・ズーチェンの考え方に共感した。ネットワークやシステムとの距離感を考えた方がいいと日頃から感じてる自分にとって、ズーチェンや集落の在り方は、未来に望む居場所かもしれないとすら感じた。

 読み終わって、自分がもしSFを書いたらどんな景色を思い浮かべるだろうと想像した。それはおそらく、テクノロジーで人間の生活が豊かになるとかそんな雰囲気のものではなく、今の人間の在り方までが変わっていくだろうなと感じている。
 ここまで想像して「いつかSFを書いてみたい」と考えている自分がいることに驚く。池澤さんの、特にSF話は、いつだってオタクとしてのインスピレーションが刺激される。


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