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「出来ない」を受け入れる:サラリーマンが幸せになる方法 その31

これは、サラリーマンが幸せになるために「ありたい自分( being )を軸に持ち、ありたい自分を良好な状態( well-being )にし続けること」について書かれた note です。

「できないことで落ち込むのは無駄!」
言うのは簡単ですが、やらざるを得ないケースもあると思います。では、いったい「できないこと」にどう向き合えばいいのでしょうか?

できないことだらけ

苦手な事・できない事はありますか?
私はむしろできない事しかなく、自慢できるスキルが何もないことが自慢、というくらいポンコツです。

若いころは劣等感の塊でした。
スポーツもダメ(足の遅さは学年でビリから2番目)。勉強もダメ(中1の1学期で既に赤点)。絵を描くのは好きでしたが、賞をとれるような腕はなく同学年でもっと上手い人は何人もいるレベルでした。

大学受験も失敗。最初の就職は手取り10万そこそこでバイトより低賃金。車社会の愛知県で免許も車も持たず「シーラカンス」と呼ばれ、30代手前でIT業界に転職したがエクセルの使い方も1ミリも分からない状態で人生再スタートという有様でした。

ここまでじゃなくても、集団スポーツは苦手とか、字が下手、部屋が片付けられない、等々できない事や苦手なことは誰しもあると思います。

今回は、こんな何にもできない私がどうやってそれを乗り越えてきたかという振り返りを共有し、そんな1こや2こや100このできない事なんてどうってことないよ、というメッセージをお伝えします。

ありのまま

私がどう乗り越えたかをお伝えする前に、小学生の息子の話を書きます。
さすが私の子どもだけあって、彼もできない事のオンパレードです。とにかく運動は全ジャンル苦手。同級生と課題を見せあう授業では「字が下手で読めない」と評価され、偏食で給食を食べるのも一番遅く毎度時間切れ。忘れ物は常習。7歳になっても怖くて映画館に入れない。等々。

大人からしたら些末に思えますが、おそらく等身大の小学生には、これらを難なくこなす同級生がさぞかしキラキラして見えるだろうと思います。親として責任を感じ申し訳なく思っていました。

ある日息子が言いました。
「オレ、足が一番遅いから、~」

何かの説明としてそえた言葉です。
恥ずかしさも卑下した態度も残念さも感じられない、ただの事実として語られました。空は青い。冬は寒い。と同じレベルで、足が遅い、という事実をありのままに受け止めている様子でした。

むろん足が速ければ嬉しいでしょうが、今現在はそうではないのだからそこに心を残さず、事実として受け止め、さっさと手放している。そんな心の有り様です。

我が子ながらあっぱれですね。
そしてそこには私のかつての姿がありました。

むしろ逆

自分で出来ることは何もないと感じ続けてきた、自己効力感が超低い私が、どうしていま幸せでいられているのか。その答え合わせを息子とした感じです。

よく「自己効力感の高さが幸福度につながる」とか「自分の行動がものごとを変えられると感じる内的統制感が大切」などと言われます。

自分が世界を変えられる

よくこんな傲慢になれるな、と思います。
いえ皮肉ではなくむしろ憧れです。そんなマインドを持てたら無敵だろうな、と思っています。しかし現実はそうではありません。

私には何もできません。
そう思い続けて生きてきました。だから争いごと、競争が大嫌いです。勝てる訳がありませんからね。競い合う状況を避け続けてきました。

他人から見たら不甲斐なく感じるでしょう。
もっと頑張れ、と。
なぜ抗わない、と。

幸福学的にも統計的にも、自己効力感を高めた方がおそらくより成功し幸福になるのでしょう。

しかし、頑張って、抗って、競争し、そして敗れて心が折れ、不幸せになっていった人を何人も見てきました。

その人達の自己効力感が低かったせいでしょうか。
私は単に運が良かっただけでしょうか。
わかりません。

これだけは言えるのですが、私は何もできないおかげで、無駄に競い合って感情をすり減らし、心が折れて不幸せになる、という人生とは無縁でした。何もできないおかげで、私はいまめちゃめちゃ幸せなんです。

メッセージ

生存バイアスというものがあります。
成功者がやった方法だからこの方法なら必ず成功する、という偏った見方のことです。同じ方法で失敗した人の考慮が欠けているのですね。

自己効力感の低い私が幸せだから自己効力感は低い方がいい。
というのは間違ったメッセージです。

自己効力感が低くても幸せになれるマインドがある。

これが伝えたいことです。
今現在できない事をやらざるを得ない状況にある人。苦手なことを克服できずに自己嫌悪している人。大丈夫です。

やれた方がいいに決まっています。
克服するに越したことはない。
でも、できなくてもいいんです。

私なんて40代後半になっても毎度上司にダメ出しされ続けています。申し訳ないので努力はしますが、自分で出来たと思っても他人からしたらヘッポコな結果。でもそれがありのままの私です。他人並みにできたらほめてやってください。私も「天才かも知れん」と毎度自分をほめています。

幸せって、
お金をたくさん持っている事でも
他人より抜きん出ている事でも
ありません。

健康で
人間関係が良好で
誰かのために行動ができて
安心安全がある

これが well-being (持続的な幸福)だと思うのです。

遅くてもいい。
50点でもいい。
ゼロじゃない。それって最高。

まとめ

1.できない自分をありのまま受け止める
2.できたら天才
3.幸福は「できない」とは別の場所にある


繰り返しますができた方がいい。
うちの息子も苦手を克服して大いにハッピーになった経験があり、note にも書きました。

そのことで立ち止まり、コンプレックスが払拭できないなら乗り越えたら素晴らしい景色が待っています。

でも、できなくてもいい。
部屋が汚くても、足が遅くても、恐らく死んだりしません。
生きていたら幸せは「そこ」にあります。
絶対。

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