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今日もみんなお疲れ様

仕事からの帰宅時、たくさんの学生や会社員などに囲まれて電車に乗って、目的の駅に着いたら電車から降りて、階段を上って改札へ向かって、改札を出たらそれぞれの目的地へ帰っていく。

なんかすごい不思議な気持ちになる。

「あ、それぞれの人の人生があるんだなぁ」

という、たまに猛烈に俯瞰の目線が入ることがあるのは自分だけだろうか。

普段、自分、私で言えば「塩浦良太」という人間の目線で1日を過ごしていて、「塩浦良太」が所属する会社へ行き、そこでの仕事をし、帰り、1人で料理を作ったり、noteを書いたり、自分の時間を過ごしたりして寝て、また次の日を迎える。

「塩浦良太」という1人の人間の生活は監視しているけど、それ以外の人の視点ってわからない。でも、だからこそたくさんの見ず知らずの人がいる空間にちょっとした不思議さと面白さを感じる。

(みなさん、どんな1日を過ごしてきたのかなー?)って。

自分自身、毎日必死に生きていてこうやって日々を送っている中で、それを同じように他に人がやってると思うと「みんなすげーな」って思う(全く同じとは限らないが(笑))



ちょっと場面を変えて。

人間には出会いと別れがある。
学校でもあるし、職場でもあるし、家族や友人単位でもある。

出会いによっては「この人がいなくなるなんて考えられない!」とか、特に仕事の場面になると「この人いなくなったら仕事回るのかな、、」みたいなことってある。

ただ、いざ別れてみると、その瞬間は確かにそれまでの「当たり前」が離れるわけで違和感があったり大変だったりするけれど、ちょっと経てば慣れてくる。そして気づけば居なくてもなんとかなるように順応していく。回ってる。


結局なんだかんだ時間は過ぎていくし、世の中は回っていくんだな~、って感じることが多い。

これを「寂しい」と捉えるか「いいじゃん」と捉えるかは人それぞれだと思うが、せっかくなら肯定的に捉えたいなって思う。

人間、思っているより自分に責任とプレッシャーを感じすぎてるのかもしれないなって。

そりゃ感じた方がいい場面はある。
何かを任されているところをいきなりいなくなる、なんて無責任なことはできない。信頼されて任されているわけだし。しかもそういう時、大抵大変なのは残された側なのだから。

でもだからといって、自分で自分を苦しくなるまで追い込む必要なんてないんじゃないかなって。それで自分が喜ぶならいいけど、そうじゃないならもっと自分に優しくしてもいいんじゃないかなって。

いい意味で人間なんてちっぽけだから、もっと自分が楽しいように生きていいんじゃないかな。


生きているといろんなものと比較をしたくなるものだ。

「自分はまだあれが出来ていない」とか「あの人はもっとすごい」とか。
確かに相対的な評価って大事だし、出来ることが増えていくことって大事だから生きていて悩みって尽きない。実際その悩みが力になって頑張れることだってある。

だとは思うんだけど、それ以上に「今日も1日やりきった!」「今日も1日頑張った!」ということがすごい尊いことなんじゃないのかなって思う。

きっと大変なこともあっただろうし、もちろん嬉しかったこともあっただろうけど、そういったのひっくるめて今日もお疲れ様っていうわけで。

自分の頑張りなんてちっぽけなもので、自分なんていなくても回ってる、みたいな捉え方もあるだろうけど、みんながそれでいなくなったら何も回らない。そう考えればあなたがいることで救われている人がいるわけ。

もっともっと自分で自分を褒めてあげようよ、って思う。
今日もお疲れさまでした!って。

でまた明日出来ることを出来る範囲で頑張っていこう。

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