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暁闇

まだ、雨が降っている。
深夜、ふと目が覚める。

昨日は衝撃的なニュースがあった。
先の見えないウイルス禍、いつ明けるとも分からない陰鬱な梅雨の天候に、繊細で才能溢れる人だからこそ、呑みこまれてしまったのかもしれないと思う。

私自身、このごろ鬱々とした気分をずっと抱えていた。

私が20代の頃亡くなった、3人の知人を思い出す。
1人は海の事故、1人は病で末期癌、そしてもう1人は自死だった。

人間は危ういバランスの中を綱渡りしながら生きている。

直接ではないにしろ阪神大震災と東日本大震災という未曾有の災害に遭い、時に支配と暴力の中で生き、そこからやっと抜け出して、自分の人生を歩いている私でも、生きているだけで丸儲けとは、到底思えない時がある。

どんなに孤独な人間でも生まれた時から一人ではなく、この世に誕生した瞬間から、親や兄弟家族、友人、面識のない人間まで様々な関わりが、蜘蛛の巣のように過去、未来と有象無象に絡まっていく。
生きている限りこちらを絡め捕ろうとする蜘蛛の糸から逃れるのは並大抵のことではない。

生きるというのは心底大変だ。

しかし。
死神はこちらの都合関係なくやってきて、じわじわと、時にばっさりと生を刈り取っていく。
何の因果か私は今までの人生でそういった場面に何度も触れることになった。

自分で命を刈る行為は、周りへの代償が計り知れない。
自分で命を刈らなくても死神を待てばいい。

人は何故生きるのかという、人類が何千年と問い続けたことを改めて考えた時、「何故生きるのか」ではなくて、「生きていればそれでいい」
つまりそれは「死ななければいい」「死を選ばなければそれだけでいい」ということだ。

末期癌だった知人には幼い娘さんがいた。
可愛い盛りの娘さんを遺して逝かなくてはいけなかった彼の無念は如何程だっただろう。

深夜、私を起こしたのは彼の魂だったのかもしれない。
人を貶めるのも、救うのも人だ。

久しぶりに、東京の朝に陽が差している。


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