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進化心理学とはなんなんだ?

巷ではあまりに進化心理学への誤解がはびこっています。この記事を読んでおられる方は当然ネットの記事や言説に触れる機会が多いと思うのですが、私に言わせると、ネットや他のマスコミで進化心理学がどうのこうのと言っている人の9割は進化について正しく理解しておらず、残り1割は心理学について正しく理解していません。さすがにこれは由々しき事態です。そこでこのnoteに「進化心理学5つの誤解」とか、ある本に「進化心理学とは何(ではないの)か」とかといった記事を書いたのですが、鳥類のコミュニケーションを研究している若手研究者から「進化心理学、なんでないかはよく分かったが、なんであるかは分からんかった。なんなんだ?」と言われてしまいました。はい。間違いの指摘ばかりしていてはダメですね。ということで本稿では「何であるのか」について考えたいと思います。

 そもそも学問であるので、ナントカ学というのは何かを探求しようとしているわけですが、この場合、その大きな対象は「行動」でしょう。なぜなら、ほとんどの動物は行動することなしに生きていくことはできないからです。古くはファーブルに始まる動物の行動の記載と研究は、生態学や比較心理学において進められてきました。それを整理し、現在の動物行動学の基礎となる枠組みを提唱したのが、1976年にノーベル生理学・医学賞を受賞したニコラス・ティンバーゲンです。
 ティンバーゲンは、動物の行動について考えるときには4つの異なる考え方がある、ということを提唱しました。それぞれ、1) causation(因果関係)、2) ontogeny(個体発生)、3) survival value(生存価)、4) evolution(進化的由来)とされています。1)のcausationは「至近要因」とも呼ばれます。これは、「短い期間でみて、どのような外的、内的な要因がその行動を起こし、コントロールするのか?」という疑問です。具体的には脳などの神経系やホルモンがどう働いたのか、あるいはどのような心理でその行動が起こったのか、ということを問うものです。2)のontogenyは「発達」といってもいいでしょう。これは、「個体の一生のうちに、その行動はどのように現れてくるのか?」という問いです。3)のsurvival valueは、「その行動をするとによって、どのようないいことがあったのか?」という問いです。生物の機能は自然淘汰による適応によって形成されるので、その行動がどれくらい適応的なのか、という問いにもなります。4)のevolutionは、「その行動はどのように進化してきたのか?」という問いで、つまり歴史的な経緯について考えるものです。この4つの問いは、説明の時間軸が短いか長いか、またそれがメカニズムなのかプロセスなのかというふたつの次元で整理することができます。因果関係は短い時間軸でのメカニズムの説明、個体発生は短い時間軸でのプロセスの説明ということになります。一方生存価は自然淘汰による適応についての話なので、長い時間軸でのメカニズムの説明で、進化的由来は長い時間軸でのプロセスの説明です。生存価と進化的由来についての問いをまとめて、「究極要因」と呼んだりもします。これら4つの問いはどれが一番重要というものではなく、同じ行動について異なる視点から考察しているものなので、どれも同じように重要です
 しかしながら、この違いを理解せずに混同してしまっている例も見かけます。例えば生存価の話をしているのに、それはこういった因果関係で説明できるので間違いだ、と反論しているつもりになっている人がいたりするので注意してください。具体的には、私たちが果物を食べるのは霊長類がビタミンCを体内で合成できないからだ、という話をしているときに、いやそれは単に美味しいからでしょう、というようなものですね。また、講義をしていると、4つのあいだに優劣があるとか、ある行動にどれが当てはまってどれが当てはまらないのか、などという誤解をしている学生がちらほらといるのですが、これも誤りです。例えば6という数字は、一方から見ると6ですが、逆方向から見ると9に見えますよね。どちらの見方が優れているとか適切だとかいったことはありません。
 さて、心理学は、この4つの問いのうち「因果関係」と「発達」について探究しようとするものです。さらに、動物心理学以外の心理学、つまりホモ・サピエンスを対象としている心理学は地球上の多種多様な生物種のうちただ1種しか対象としていません。行動についての学問のなかでもかなり狭い範囲と対象しか扱っていないわけです。その割には心理学者の数は多いですよね。それはともかく、進化心理学も心理学なので、やはり「因果関係」と「発達」を扱います。「進化」という言葉がついているので、心の進化についての学問だと誤解している人が多いのですが、そうではありません。ただ、「因果関係」と「発達」について考える際に、ヒトの心が進化の産物であったなら、どのようなデザインになっているだろうか、という視点をとることが、他の心理学とは異なるところです。そこで使えるのが「リバース・エンジニアリング」という考え方です。
 ヒトがつくった道具というものは、普通何らかの機能をもち、特定の目的を果たすように設計されていますが、これをエンジニアリングといいます。「リバース」は「逆転」という意味なので、リバース・エンジニアリングというのはこの逆のことです。つまり、人工物というのはエンジニアリングによって何らかの機能を果たすために各部分がつくられ、働いています。ということは、その人工物がもつ機能を考えれば、その人工物のかたちや構造についての理解が進むのではないかと考えられます。生物は誰かが設計したものではありませんが、自然淘汰が働くと、あたかも設計されたような複雑さと機能をもつようになります。心についても、それが何らかの機能を果たしていると考えれば、その機能を果たすためにはどういう構造やメカニズムが必要なのかという予測ができ、それを実験や調査によって検証することが可能になります。進化心理学では、基本的にこのような視点からヒトの心について探っていこうとしているわけです。そこで重要になってくるのが、その機能は何なのかということです。ということは、心が機能してきた環境がどのようなものであり、そこにおける適応課題が何だったのか、ということを考えなければなりません。
 古典的な進化心理学では、心が適応した環境は進化的適応環境であると仮定されてきました。進化的適応環境とは、具体的には約180万年前から約1万年前の更新世において人類が暮らしていた環境です。約1万年前に農耕牧畜が始まり、それを基盤として文明が築かれたことで、人類を取り巻く環境と生活様式は激変しました。しかし、1万年というのは心のメカニズムが進化するには短い時間なので、ヒトの心の基本的な部分は農耕牧畜以前の環境に適応してそのメカニズムができていると考える方が妥当でしょう。進化的適応環境においてヒトが直面した課題から、適応の結果としての心の構造やメカニズムについて予想が立てられるので、それを検証していこうというわけです。
 しかし、一方でヒトの行動は文化の影響も強く受けます。現代人が地球のあらゆるところに分布し、地球環境を左右するほどの力をもつことができたのは、高度な文化のおかげです。文化は環境にもなりうるので、当然、ヒトの行動もそれぞれの集団がもつ文化に適応したものになっていきます。また、文化そのものも遺伝子と同じく情報であり、変異と継承があるので進化をします。文化は遺伝子よりもはるかに変化とその蓄積が早く、環境の変動に適応していくことができます。さらに、遺伝子と文化が互いに影響しあいながら進化するという、遺伝子-文化共進化という現象もみられます。
 現代人には必ずしも適応的ではない行動がみられますが、古典的な進化心理学は、進化的適応環境と現在の環境が異なるということからこういった行動を説明しようとします。過去の環境に適応してきた心のはたらきが、現代の環境においていわば暴走することによって不利益な行動が起こってしまうというわけです。一方、文化進化論によると、ヒトは文化によって新しい環境へと素早く適応できるので、環境のギャップはあまり重要ではありません。ではなぜ適応的ではない行動がみられるのかというと、社会的学習によるバイアスの結果ではないかと考えます。ヒトは他の類人猿に比べても、他者の行動を過剰なほど模倣しようとします。このような強力な社会的学習によって文化の伝達は支えられてきたのですが、それがあまりに強力なので、場合によっては不適応な行動が学習され、広まっていくこともあるということです。また、遺伝子は両親からしか伝わらないのに対し、文化的な情報は両親以外の上の世代や、同世代の個体といった他の様々なルートからも伝わります。それらもまた、不適応な行動パターンが広まっていくことを強化するでしょう。このような文化進化の研究は近年盛んに行われており、進化心理学も以前のように単純に過去の環境への適応だけを考えるのではなく、文化進化の視点を取り込みつつあります。
 では、進化的適応環境においてヒトが直面した課題が具体的に何だったのかというと、はっきりしたことは分かりません。ただ、現代のように大規模な社会において食糧生産をしていたのではなく、おそらく家族を中心とした小さな血縁集団を形成し、狩猟採集をして生活していたことはほぼ確実です。そこからどのような心のメカニズムが想定できるのかということを考え、それを実証しようとするのが進化心理学です。実証の方法は他の心理学と変わるところはありません。進化的適応環境における課題が不確かなので、進化心理学自体が不確かだと誤解している人がよくみられますが、それは科学研究というものが理解できていない証拠です。想定自体は間違っているのかもしれませんし、そもそも合っているのかどうかは立証できません。しかし、そのような視点をとることによってヒトの心のメカニズムについて仮説を立て、それを検証していくことで新しい事実が明らかになるのなら、有効な研究プログラムといえるのではないでしょうか。重要なのは、検証方法は科学的かつ厳密なものでなければならないということです。進化心理学は、進化的適応環境がこうだったからヒトの心理はこうであるに違いない、と主張しているわけではないし、ましてやそうでなければならない、と言っているわけではありません。そのような主張をしている人は、素人かエセ学者だと思ってください。
 では、ヒトの行動について「生存価」と「進化的由来」を扱っているのはどのような分野なのでしょうか。「生存価」つまり適応という観点から動物一般の行動を研究する分野は、行動生態学と呼ばれています。その行動生態学の対象としてヒトを研究するのが、人間行動生態学です。ヒトもまた動物の一種であるので、行動生態学の対象にはなりえます。しかし、アフリカという限られた環境で進化したホモ・サピエンスは、約10万年前から世界中の様々な環境へと拡散し、多様化していきました。ヒトの行動について調べたいとして、現代のどの人類集団を、典型的なホモ・サピエンスとしてみなすことができるでしょうか。また、行動をみることで遺伝子の適応を推測するのが行動生態学の手法ですが、具体的に行動を起こすのは心理メカニズムであり、ヒトの場合はこれがかなり複雑化しています。さらに上記のように文化の影響も強く受けています。行動生態学の手法をヒトに当てはめる試みもされていますが、分かることは限られてくるでしょう。
 行動について「進化的由来」を考えるのは、さらに難しくなります。なぜなら行動は化石などの物的証拠として残るわけではないからです。そこで手がかりとなるのが、他の動物種の行動です。現存するすべての動物は共通祖先をもっていますから、それぞれの種を比較することで、ある行動がどのように進化してきたのか推測することができます。なかでもヒトは霊長類の一種であり、霊長類には多くの種が含まれますから、多様な他の霊長類種との比較は有効な手段です。もうひとつは、遺跡や化石といった物的証拠から推測するという方法です。初期人類の形態や遺跡には、ヒトがどのような社会を形成し、どのように生活していたのかということが推測できる特徴があります。過去のことなので再現できず、あくまで推測するしかないわけですが、いずれにせよこれらは進化心理学の範疇ではありません。分かっていただけましたでしょうか。

参考文献

大坪庸介(2023)放送大学教材 進化心理学. 放送大学教育振興会
小田亮(1999)サルのことば 比較行動学からみた言語の進化. 京都大学学術出版会
小田亮・大坪庸介(編)(2023)広がる!進化心理学. 朝倉書店
小田亮・橋彌和秀・大坪庸介・平石界 (編)(2021)進化でわかる人間行動の事典. 朝倉書店
スタノヴィッチ, K.E., 椋田直子 (訳) (2008) 心は遺伝子の論理で決まるのか—二重過程モデルでみるヒトの合理性. みすず書房
ダンバー, R., 鍛原多恵子(訳)(2016) 人類進化の謎を解き明かす. インターシフト
長谷川寿一・長谷川眞理子・大槻久 (著)(2022)進化と人間行動 第2版. 東京大学出版会
ヘンリック, J., 今西康子(訳)(2019) 文化がヒトを進化させた. 白楊社
ヘンリック, J., 今西康子(訳)(2024) WEIRD「現代人」の奇妙な心理(上下). 白楊社
ミズン, S., 松浦俊輔・牧野美佐緒 (訳) (1998) 心の先史時代. 青土社

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