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進化心理学5つの誤解

物理学や数学などとは異なり、心理学は自分自身のことでもあるので、ネットで聞きかじった生半可な知識で理解したつもりになってしまうことが多いようです。本くらい読めばいいのにと思うのですが、最近では大学生ですらろくに本を読みませんから、無理もないのでしょう。ここでは、進化心理学についてのよくある誤解を取り上げます。進化心理学は単なる知識や方法論の一体系でしかなく、残念ながらそこには「フォース」などありません。


1. 進化心理学は心の進化についての学問である

 進化心理学は、心の進化についての学問ではありません。心というものがどのように進化したのかというのはもちろん大きな問題ですが、それはむしろ比較行動学や動物心理学、自然人類学、考古学といった分野のテーマです。

 こういった誤解をする人は、そもそも心理学とは何か、ということが分かっていないのでしょう。心理学とは「経験的事実としての意識現象と行動を研究する学問」(大辞林 第四版)ですが、基本的には「意識現象と行動」のメカニズムと発達を対象としています。進化心理学もあくまで心理学なので、やはりメカニズムと発達が研究対象です。ただ、進化心理学においては、そこで心の機能が重視されます。なぜなら、メカニズムには機能が反映されているからです。心理学には機能主義という考えがあり、そこでは心的活動は環境への適応であると捉えられています。ただ、この場合の「適応」とは、ほとんどの場合「現在の周囲の環境に合わせてうまくやっていく」という意味での適応だといえるでしょう。

 進化心理学では、「現在の周囲の環境に合わせてうまくやっていく」ことはあくまで手段あるいはメカニズムのひとつであり、究極の目的は何かというと、遺伝子の複製だと考えます。なぜ遺伝子の複製なのかというと、遺伝子をうまく複製できないような心の働きや行動は自然淘汰によって消えていったからです。その結果、心は遺伝子の複製をより容易にするような機能を備えることになりました。その経緯はなかなか目に見えるものではないし、また長い時間がかかるので、直感的に理解することはできません。しかし、上述のようにメカニズムは機能を反映するので、心についても、それが何らかの機能を果たしていると考えれば、その機能を果たすためにはどういうメカニズムであるべきなのかという予測ができ、それを検証することが可能になります。進化心理学では、基本的にこのような視点からヒトの心について探っていこうとしています。つまり、具体的な研究方法は調査や実験など、一般的な心理学と変わりません。進化そのものを研究しているわけではないのです。ただ、機能についての仮説を立てる際に、心というものがどのように進化したのかという知見を参考にするということです。

2. 進化心理学は単なる仮説であり、証拠がないので胡散臭い

 これもおそらく、進化心理学が心理学の一種だということを理解していないのでしょう。少なくとも実証的な心理学では、心のメカニズムについて仮説を立て、それを調査や実験によって検証します。例えば人間の記憶については、「系列位置効果」が知られています。これは、複数の情報を記憶するときに、最初に呈示された情報や、最後に呈示された情報が特に覚えやすい、というものです。たしかに日常生活でも、たくさんの人に連続して会わなければならないようなとき、最初に会った人とか最後に会った人がよく印象に残っている、ということがありますよね。それを厳密に統制された実験によって確かめるのが心理学であり、それによって人の心について多くのことが分かっています。

 進化心理学もまったく同じで、心のメカニズムについて仮説を立て、それを調査や実験によって検証します。そういう意味では「単なる仮説」で止まっているものではないし、証拠がないわけでもありません。例えば私たちの研究室では、適応論的観点から、ヒトは利他的な人とそうでない人を表情や身振りで見分けることができるだろう、という仮説を立て、それを実験によって検証しています。これは妥当な手続きに基づいて行われた科学研究です。ただ問題なのは、上述のように、仮説を立てる際に心がどのような環境への適応として進化したのか、ということを考えるわけですが、そこが厳密に明らかになっていない、ということです。なにしろ昔のことですから、推測に頼るしかないわけですね。それをやっているのが進化生物学や自然人類学、考古学といった分野です。仮説を立てる際の根拠があいまいであったとしたら、それはこういった分野の課題だということになります。逆にいうと、進化心理学の成果について評価する際には、仮説の前提となっている知見にどこまで信憑性があるのか、ということには注意する必要があるということです。

 心理学においては現在、再現可能性が大きな問題となっています。これは、過去に報告された心理学の研究結果の多くが追試によって再現されないという問題ですが、そういう意味では心理学全体の信頼性が危機に陥っているといえるでしょう。進化心理学も心理学のひとつですから、同じ問題を抱えていることはたしかです。

 似たような誤解として、進化心理学は後付けで何でも説明できてしまう、というものもあります。これは、進化心理学というより、その仮説の拠り所のひとつとなっている自然淘汰理論についてのものでしょう。たしかに、適応論にはひとつ間違えると「なぜなぜ物語」のようなもっともらしい物語を創ってしまいかねないところはあります。単なる「なぜなぜ物語」にしないためには、まずある特徴について適応上の問題が実際に存在したのかどうかについて明らかにする必要があります。さらに、その特徴の変異が適応度のばらつきと対応しているかどうかについての検討も必要です。また、理論的な背景も重要です。なぜある特徴が適応であるといえるのかということについて、論理的に証明できなければなりません。これらが真摯に検討されていないものは、生物学を装ったただの与太話に過ぎないので、注意してください。

3. 進化心理学は遺伝決定論である

 進化心理学は、ヒトの心の働きや行動は遺伝子によって決定されていると主張している、というのもまたよくある誤解です。その背景となっているのが、ヒトの行動を決定しているのは遺伝か環境か、という二元論です。しかし、実際には遺伝的要因と環境要因は複雑に絡みあっており、どちらかが大きくなればもうひとつの方は小さくなる、というものではありません。上述のように、進化心理学が対象としているのは心のメカニズムであり、そこで前提となっているのは、外部の環境からの入力に対する反応として行動が出力される、ということです。社会的・文化的環境が異なれば、入力が異なるので出力としての行動も異なります。ただ、そのメカニズムは当然ながら遺伝情報によって造られているし、自然淘汰の影響も受けています。つまり、ヒトの心の働きや行動に進化的基盤があるのなら、社会や文化の違いを超えて普遍的なものになるはずだ、というのも誤解だということです。

 また別の誤解として、ヒトの行動のほとんどは後天的な学習によって形成されるので、遺伝は関係ない、というのもあります。たしかに学習は変動する環境に柔軟に対応していくために重要な能力なのですが、しかし、ヒトに限らず動物一般に、学習しやすいものとそうでないものがいわば生得的にあることが分かっています。おそらく学習しやすいものは適応に関わっているだろう、という仮説を立て、それを検証しようとするのも進化心理学の研究のひとつです。

 とはいえ、私たちヒトは必ずしも適応的な判断や行動をするとは限りません。例えば避妊手段を講じたうえでの性交はどうでしょうか。性交は快楽を伴うので個体の利益にはなりますが、遺伝子は次世代に伝わらないので遺伝子にとっての利益にはなりません。ヒトの心が自然淘汰の影響を受けているのなら、なぜこのような行動がみられるのでしょうか。おそらくそれにも理由があると考えられています。ドーキンスが「利己的な遺伝子」において提唱したように、ヒトも含めた生物は、遺伝子が存続できるようにデザインされた「乗り物」としてみることができます。個体があまり変化のない環境におかれるのであれば、遺伝子は個体の行動をある程度「造り込んで」おけばいいのですが、もし環境の変化が激しく、予測できないことが多ければ、ある程度は個体に自由度を与えて、自分で意思決定させた方がいいでしょう。別の言い方をすると、私たちが「自由意志」と呼んでいるものは、変わりやすい環境に対応するため、生存や生殖といった一般的目的に照らして最適な行動をとることができるように遺伝子によってデザインされているのかもしれません。しかし、変化が遺伝子の「想定」を超えたものになると、遺伝子にとっての利益と個体にとっての利益が一致しないという事態が生じることになるわけです。先に挙げた、避妊手段を講じたうえでの性交はそのような理由でみられるのかもしれません。

4. 進化心理学はヒトの「本能」を肯定している

 進化心理学の研究対象はヒトの「本能」である、というのもありがちな誤解です。本能というのは「生まれつきもっている性質や能力」「動物のそれぞれの種に固有の生得的行動」(大辞林 第四版)とされています。上述の、遺伝子によってある程度造り込まれた形質がおそらくこれにあたるのでしょう。もちろん、進化心理学はそのような形質のメカニズムや発達についてもさまざまなことを明らかにしてきました。しかし、それだけではありません。一般的に本能と対比される学習された行動や、その結果による文化もまた進化心理学の対象です。文化は世代から世代へと伝わる情報であり、伝達のミスなどによって変化します。変化によってより伝わりやすくなれば、そのような文化が広がっていくでしょう。これは遺伝子への自然淘汰と同じ原理であり、つまり文化も適応的な方向へと進化するということになります。では遺伝子とは独立にそういった進化が起こるのかというと、遺伝子が文化に影響することもあり、逆に文化が遺伝子に影響することもあります。このようにして起こるのが、遺伝子-文化共進化です。文化の影響もまた、心のメカニズムについての仮説を立てるうえで重要なものなのです。

 いずれにせよ、ヒトは進化によってある行動傾向をもっているのだから、それが正しい、あるいはそうしなければならない、という主張を進化心理学がしている、あるいはそういった考えを助長している、と思っている人がいるようですが、それも大きな誤解です。そもそも、そういった考えは論理的に正しくありません。「ヒュームの法則」というのを聞いたことがないでしょうか?これは18世紀のイギリスの哲学者デイヴィッド・ヒュームが提唱したもので、記述的言明だけから規範的言明は導けないということですが、簡単にいうと、「〜である」から「〜すべし」という結論は論理的に導けない、ということになります。例えば、不倫や殺人は必ずしも異常な行動ではなく、適応の結果として考えることができるというのも、行動生態学や進化心理学がもたらした知見ですが、だからといってそうすべきだとか、それが正しいということにはなりません。また、進化心理学は差別や偏見を助長することにつながる、たとえ研究者に差別する意図がなくても差別主義者に利用されることがある、といった批判を目にすることもあります。ですが、ヒトがどのような生物であるのかという現実を把握せずに様々なことを考えたり判断したりすることの方がよほど危険です。事実から目を背けて理想を語ることは心地よいかもしれませんが、そんなものに意味があるでしょうか。

 ヒュームの法則の話をすると、では自然科学や社会科学の知見を、私たちの社会を良くするためにはどうするべきかという意思決定に用いるのは間違いではないか、という人がいます。これもまた誤解です。たしかに、社会をどうするべきか、とか、君たちはどう生きるか、といったことは、記述的言明から導けるものではありません。しかし、いったん「〜すべし」が決まってしまえば、そのために科学の知見を応用することはヒュームの法則に反することではありません。例えば、ある政策を実現するために、ヒトの本性を考慮すればこのような方法をとるべき、というのは問題ではありません。なぜならそれは合理性であって義務ではないからです。合理性としての「〜すべし」と義務の「〜すべし」を混同してはいけません。

5. 私は遺伝子を残すために行動しているわけではない

 これは上述の3.とも関連しますが、遺伝子にとっての「目的」と個体の「目的」は必ずしも一致するものではありません。私たちには自我や自意識といったものがあるので、心のメカニズムにはこのような機能がある、という話をすると、自分はそんなつもりで考えたり行動したりしていない、という人がいます。たしかにそうでしょう。遺伝子にとっては自分のコピーがより多く残るかどうかが重要なのであって、個体がどのように考えようとも、結果的により多く遺伝子を残せるような形質が残っていくだけのことです。また私たちが、自分の意思で行動を決定しているように見えて、実はけっこう無意識のうちに様々な判断をしているというのは、わざわざ進化心理学を持ち出さなくても認知心理学における知見としてよく知られていることです。

 これは、天動説と地動説の話に喩えることができるのではないでしょうか。地球が自転したり公転したりしていることは科学的事実であり、知識として知っていることでしょう。しかし、普通の感覚としては、どう考えても大地は静止していて、太陽は東から登って西に沈む方が正しいですよね。自分が立っている大地がすごい速さで動いているなどとは信じられません。だからこそ、ガリレオは異端尋問にかけられたのでしょう。ただ、いくら天動説を信じていても、それによって物理法則が変わることはありません。一方、人間の行動は物理法則と異なり、動機や信念、あるいは自らの行動の解釈といったものが行動そのものに影響します。そこが人間行動の面白いところでもあるわけです。

参考文献

大坪庸介(2023)放送大学教材 進化心理学. 放送大学教育振興会
小田亮・大坪庸介(編)(2023)広がる!進化心理学. 朝倉書店
小田亮・橋彌和秀・大坪庸介・平石界 (編)(2021)進化でわかる人間行動の事典. 朝倉書店
長谷川寿一・長谷川眞理子・大槻久 (著)(2022)進化と人間行動 第2版. 東京大学出版会


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