プレゼンテーション1

⑧ババア論 その4 ~なぜ?~ 2/2

ババア論① ~その1~では “男の中にもババアは存在する” とも書きました。それは、もちろん僕にだって。

閉まりかける電車の扉。僕はそこに飛び込む。ギリギリ乗れたと思った次の瞬間、背負っていたバックパックが挟まれ身動きが取れなくなる。扉は事故防止のセンサーが効いて再度オープン。僕は無事に乗車することができた。電車が動き出す。「無理な乗車はおやめください。」というアナウンス、集まる乗客の視線に僕は我に返る。

“ババアになってしまっていた” と。

決して急いでいるわけではない。例え急いでいたとしても次の電車は5分~もすればやってくる。過去に5分遅れたらアウトなんて用事はあったことが無い。なのに・・・。

僕はこのババア論なんていうものを書こうと思うくらいなので、こういったことにならないよう常に公共性を持つということに気を付けています。しかし、年に数回 僕の中でババアがとぐろを巻くのです。

では、ここまでの “学生の頃、女子にババアはいなかった“ “オッサン側から” そして、 “男の中に存在するババア” の例から “なぜババアになってしまうのか?” ということを考えてみる。“オッサンになる” そこには “グラデーション” として段階がある。そして、男(僕自身の経験から)がババアになってしまう時はグラデーションではなく、理由も無しに “ふと” ババアになっていて、“ふと” 我に返り反省する。こうしたことから “ババアになる” ということは0だったところから間を一気に飛ばし100になるということ、つまり、悪霊に取憑かれるようなことなのか・・・?あの頃、カワイかった女子たちはどこかでババアに取憑かれたのだろうか・・・?ババアが祀られている ほこらにイタズラでもしたのか・・・? “ある年頃になった女性はババアに取憑かれやすい” そう考えると “女性がババアになりやすい” といったところに辻褄が合う・・・。

これだっ!!!


この “取憑かれ説” あながち間違ってはいないと思うんですよ。

もっと現実的にしっかり考察しますと “男の中に存在するババア” の例から、電車に飛び乗って扉に挟まるババアな行動をしてしまった、と。この後に “そこまで急いでいないのだから次を待てばよかった、万が一事故に発展してしまったら多くの人に迷惑をかけてしまうところだった、もし遅刻してしまったとして、あのオバマ元アメリカ大統領がスマホを忘れてそれを取りに戻りヘリ移動が遅れたことがあったが惨事にはならなかった。(2014・11・21)私が少し遅れるくらいで世界はなにも変わらないんだから落ち着いた行動をしよう” といったように自分の行動(ババアに取憑かれてしまった行動)を反省して “次は無いように” すればいいと思うんです(除霊)。

ほとんどのババアは「やったー!乗れたー!ラッキー!発車オーライ!今日は何食べようかしら?」といったふうに自分の公共性に欠けた行動に対する反省(除霊)もなく、それを繰り返してきたのでしょう。それにより、居心地がよいと感じた悪霊(ババア)はあなたの中に深く取り憑き居座り、あなたをババアにしてしまったのです。

「すいません」って言葉、オマエはもう持っていないだろ?ババアよ?

あ、

長生きしろよ! 
Respect for毒蝮三太夫

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