疲れた

死にたいとは全く思わない。
むしろ永遠に生きたいくらいだけど、生きるのには疲れた。

むしろ死にたくない気持ちが強すぎて、人生を後悔したくない、楽しく生きたい、それを諦め切れない事が、原因でもある気がしている。

生きている限り頑張り続けないといけない。
自分より頑張っている人なんて数えた訳じゃないけど、多分山程いる。

だから自分の頑張りなんていうのはほんの些細な事で、自分でももっと頑張る余地はあると思う。

それでも疲れてしまった。

人生を良くしたいっていう気持ちは常にあるけれど、それが逆に重圧になっている。
どうでも良いやとも思えない。
諦め切ることも出来ない。
何が楽しいかもわからない。
1年ほど前友達と卓球をしたけれど、それは本当に楽しかった。
あの時は今よりどん底だっただけに、余計にギャップを感じたのかもしれない。

心が折れそうな手前でジリジリ粘っているけど、いつまで待つかどうか。
何度か心が底に落ちるのを経験すると、あ、また落ちそうだなって何となく分かるようになった気がする。自分の限界を何となく理解してしまう。

自己啓発の言葉は中々に悪質だ。
それで救われるのはその瞬間だけで、現実を体験するのはやっぱり自分自身。逃げられない。
その瞬間は楽になるけれど解決にはならないからだ。自分勝手な言い方をすると無責任だとも思う。

今興味のある(気がしている)分野で就職活動をしているけど、夜勤があったり、仕事の時間外での勉強がかなり必要らしい。

会社は結果的に学ぶ事もあると思うけれど、やっぱりお金を稼ぐ場所で学校ではない。
もし未経験で受け入れてくれると言うのなら少しでも早く、貢献出来るように努力する必要があると思っている。

やってみたい気持ちはあるから就活しているけれど、過去3度入院するくらいに体を崩す事を経験していると自分の体が強くない事ははっきりと理解するし、睡眠や運動、落ち着いた食事、こう言った健康に生きるための時間を与えられない環境に体が耐えられるとは到底思えない。

体が強くないからこそ、その対策を自分自身でとっているけれど、その対策すら取れなくなるって考えると不安で仕方がない。

正直それだけ体を壊す経験をしていると、健康に過ごす事を考えずに入られないし、健康である事の幸せを強く実感する。
でもこんな事は就活では言えない。
どこにでもいる大衆の1人が、それを言えば内定なんて貰えないクソみたいな世の中。

でも現実はそんな他人の事情なんて知らない。
どこもかしこも、金のことばかり。
同じビジネスモデルで言い回しを変えているだけ。
オリジナリティなんてない。飽和してる。
綺麗事ばっかり。

言葉では気にしているふりをしていても、結局金しか見ていないから、実情は人の事を考えていない。
それが社会なんだそうだ。
みんなそうやってアホな納得をして自分を騙している。

めんどくさい事、しんどい事が不要だと言っているわけではない。
どんなに環境が恵まれていても、それを活かせるかはその人次第だし。
人の役に立ってお金をもらう以上、それはつきものだ。

でも人の生活が便利に、快適になったり、人生を豊かにするために存在する商品やサービスを作る側が疲弊して不幸を感じるなら、心や体が壊れてこれまで感じる事が出来ていた幸せを感じられなくなるなら。
それは本末転倒だと思う。

どんなに綺麗事を言っていても結局、人を人としてみていない。金として見ている。

人間は大昔と比べ、凄く多くの自由を手にした。
なのに根本的には何も変わっていないように感じる。
形が変わっているだけで、何も学んでいない。学んだふりをしているだけ。

どんなに頑張っても、僕1人で世の中のこの流れは変えられないし受け入れるのが一番簡単だ。

でも未経験の業界で大した職歴もない僕が、健康に生活出来る環境を求めるのはおこがましい事なんじゃないかとも思う。

それくらい、多くの人がやりたくないポジションじゃないと空いていないって事だ。
そもそもそう言うポジションが存在する事を否定したいけれど。。。

遊ぶ時間をくれって言っているわけではない。
勿論息抜きの時間があるならそれは嬉しいけど、これもまたおこがましい考えなんじゃないかと思う。

これを書く時間があれば勉強しろって自分でも思うし。やっぱり努力がまだ足りていない。

それでも疲れた。
生きる事に疲れた。

思想が国と相違しているだけで、監獄に入れられるような時代と比べると、現代はよっぽど自由になった。

それでも監獄の方が自由なのではないかと、考えてしまう。

多分監獄にはmustはあってもhave toはない。
現代は自由と言いながらhave toが多すぎて結局何かに縛られている。
やりたい事をやれは綺麗事だ。

結局の所、自由だと感じるかどうかはその人次第で、現代は自由を感じる事が出来ない。
いや、昔は昔で感じる事が出来ないし、そこらの刑務所でも大抵の人は感じる事は出来ないのだろう。

だから歴史は繰り返している。

一度壊れた体を元に戻すのにどれ程苦労するか、辛いかを知らない人が多すぎる。

知らないと言うより、理解していないというか、共感出来ないと言った方がいいかも知れない。

そりゃ経験した事ないんだから共感は出来ないと思う。
けど、昔と比べてそれを知るための情報は沢山ある。
自殺している人だっている。

それなのに、実際に経験するまで対策しようとしないゴミみたいな会社ばかりだ。

どれだけ綺麗事言っている会社も、結局自分達が愚かな事をしている。
相手にだけそれを求める。

1番近い人を大切にするのは、遠い人を大切にするより直感的には多分難しく感じると思う。
親や兄弟にはキツくあたる人が多いでしょ。
それでも、近い人を大切出来ない人がより遠い人、より多くの人を本質的に大切にする事はもっと難しいと思っている。

緑健農法と言う野菜の栽培方法がある。
野菜の本来の産地。
育つ気候、環境に適した育て方をする農法だ。
だから一般的に質の良いと言われる土や肥料を使うのではなく本来の産地に合わせたものにする。
そうすると野菜が持つ本来の味が生まれ、より美味しく育つのだそう。
ただし、やはり元の環境を再現するにはコストが掛かる。

でもこれが自然の摂理だと思う。
牛だって放牧されて育った個体の方が味も栄養素も良いそうだ。

人間だけが例外とは到底思えない。
現代は自然の摂理に逆らい過ぎている気がする。
今の世の中に適応してしまっているから、中々そう感じる事は出来ないけど、世の中、体を壊してまで便利にならなくても良いし、娯楽の数も多すぎる。やりたい事だけ増えて処理しきれないストレスがある。

漫画もアニメもゲームも小説も飲食店も施設も新しいサービスも服もお菓子も全部20年くらい新たに作らないで欲しい。

もう全部疲れた。
そうしたら多分人間にとって根本的に必要なものが見えてくる気がするし、同じような企業は消える気がする。

何もかも全部疲れた。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?