誰かの靴を履いてみること シンパシーとエンパシーについて考える
現在、ブレイディみかこさんの
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」
を読んでいます。
主人公はイギリス在住のブレイディさんの息子さん。
「元底辺中学校」に通っています。
ブレイディさんの夫はアイルランド人なので、この息子さんはイエローでホワイトなのです。
タイトルは、息子さんがノートの書いた一言です。
これは、差別や貧困など、現代イギリスの光の当たらない部分を見せてくれる本です。
第5章のタイトルは
「誰かの靴を履いてみること」です。
これは、元底辺中学校の試験に出てきた、
「エンパシーとは何か?」
という質問に対する息子さんの答え。
ここで私は「おお、エンパシーじゃないか!!」
朝の読書タイムで一人感激し、赤線を引き、iPhoneメモアプリに写真で記録しました。
「エンパシー」
という言葉は、関西外国語大学の中嶋洋一先生から教えていただきました。
シンパシーとの違いについて教えていただいたのですが、一度聞いただけで理解できるほどの頭の良さはなく、今までこの言葉が頭の中をグルグル回っていました。
オンラインのOxford Learner's Dictionariesでは
sympathy
the feeling of being sorry for somebody;
(誰かをかわいそうだと思う感情)
showing that you understand and care about somebody’s problems
(誰かの問題を理解して気にかけていると示すこと)
empathy
the ability to understand another person’s feelings, experience, etc.
(他人の感情や経験などを理解する能力)
と書かれています。
(ブレイディさんも同じサイトで調べられていました)
75ページにはこのように書かれています。
「つまり、シンパシーの方はかわいそうな立場の人や問題を抱えた人、自分と似たような意見を持っている人々に対して人間が抱く感情のことだから、自分で努力をしなくとも自然に出てくる。だが、エンパシーは違う。自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力のことだ。シンパシーは感情的状態、エンパシーは知的作業とも言えるかもしれない。」
シンパシーは「感情」
エンパシーは「能力」
昨年夏に佐賀県で行った勉強会では、中嶋先生からBrene Brownの動画を紹介していただきました。
日本語字幕でお楽しみください。
息子さんが受けた上記のテストは、シティズンシップ・エデュケーション(市民教育)のテストです。
日本では馴染みが薄いですが、イギリスではシティズンシップ・エデュケーションの導入が義務づけられているそうです。
哲学者の苫野一徳さんも、著書「ほんとうの道徳」のなかで、
「学校教育においてやるべきは、道徳教育ではなく市民教育である」
と述べています。
私たちの「心」や「気持ち」は誰にもわかりません。
でも、行動は見ればわかる。
世界をきれいにしたいと考えてるだけの人よりも、そんなことは考えなくても近くのゴミをさっと拾える人の方がいいのではないでしょうか。
中学校で教える身として、心の教育(道徳)に頼りすぎず、社会でどのように行動したら良いかを考える機会を与え、「誰かの靴を履いてみる」生徒を育てたいです。
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