「否定しない」というマイルール #57
ボクが『否定しない』をルールにしたきっかけ
『あのむさ苦しい夏の夜。あの日、ボクはこのルールを課した。。。』
って言う明確なタイミングがあったわけではありません。昔から他人のことを否定するほど自分の意見を持ち合わせていなかったし、そこまでの熱い思いもありませんでした。
だからこそ自然と身についたマイルールなのですが、なんとなく仕事が自分ゴトになり出してから、チームメンバーの行動に満足できないシーンが増えてきました。
例えばの話です。
あるゴールに向かうためにいくつもの道が考えられます。Aの道は茨の道。だけど茨を超えたらすぐにゴールがありそうです。
一方でBの道。いつもの道です。Aとは全く違うスキルが必要で時間もかかりそうだけど安全にゴールに辿り着けそうです。ただ、時間に間に合いそうにはありません。
この時ボクはAを選ぶんですが、組織の中にはなんの躊躇もなくBを選ぶ人が多いです。ボクも責任感もない若手時代ならそれでも良かったのですが、今ではメンバの選択に満足でき無くなってしまいました。
そんな時に、相手のBという選択を否定してしまう自分がいます。もう少し頑張れば納期に間に合うという思いがあるし、責任もあるからです。ただ、ここで『Bの道ではない。Aの道を進んでください。』というのは簡単ですが、そこにはいくつか問題もあります。
否定した先の問題
それって否定ではなくて、一種の判断ではないか?
中にはこう思われた方もいるかも知れません。そのとおりです。ただ、あるメンバの判断を採用せず、異なる判断をしたのは事実です。その時、そのメンバは、自分の意見を”否定された”という感情が芽生えます。
否定されたメンバのモチベーションは多かれ少なかれ確実に下がります。自分の裁量権が侵されたと感じるかもしれません。
モチベーションが下がったメンバが、Aという茨の道を超えられるでしょうか?まぁケースバイケースといえばそのとおりなんですが、モチベーションを下げてしまっている時点で悪手であったことは間違いなさそうです。
モチベーションを下げてまで進む方向を指定してしまうのか、最適解ではないのを理解しつつ進む方向を任せるのか。どちらが最善かはわかりませんが、ボクは後者を選ぶようにしているのです。成果と教育の観点からです。
成果の観点
定量的な評価はできていませんが、モチベーションを下げられたメンバは決していいパフォーマンスを示しません。こだわりが強い人ほどその傾向が強いです。
自分はその道に反対した、という言い訳が聞くので、たとえAの道で失敗したとしてもそのメンバにとってはリスクが無いのです。逆に言うと、自分の権威性を示すために(Bのほうが最適解であったことを示すために)、Aの成功を本気で望まない人もいます。
人の防衛本能なので、これは防ぎようもない人間心理です。だからこそ否定せずに肯定することが大切なのだと思います。
厳しいマネジメントは短期的な加速力はあります。ただし持続可能ではないのです。モチベーションを下げられたメンバとの信頼関係を築くこともできませんし、自分ゴトとして捉えられない人は成長もできません。
教育の観点
近年では経験学習サイクルというのが良いとされています。実践→経験→内省→概念化→実践→・・・の繰り返しです。実践してみて経験して、振り返って概念化(一般解化)することが大切なのです。
このとき、実践することに臆病になっているメンバには勇気づけを行う。積極的な経験を積んでいけるように裁量権を全て委ねる(任せる)。正しく内省できるようにフィードバックや質問をぶつける。そして概念化できるように要約してそのメンバの成功の型となるように落とし込む。
これらの支援を行うことが人の成長につながると言われています。このサイクルの中には仕事の細かい指示や命令は入っていません。学びを深めて成長してもらって次の成果につなげるのです。
最後に
短期的には成果量は確実に落ちます。指示命令したほうが成果が出るでしょう。ただし、長期的に見たらより大きな成果につながると思います。もちろんバランスを見なければなりません。
会社が潰れたり組織の存続ができなくなるような判断をされては成長したところで無駄骨です。失敗が大きすぎて再起不能となるケースだってあるでしょう。良いバランスを見つけて持続可能な成長を遂げていきたいですね。
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