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4-4.江戸時代は貧しかったのか?

引き続き、余話としてお読みください。

年貢負担率

多くの人は、江戸時代=重い年貢に喘ぐ貧しい農民というイメージを持っていると思います。先日も日本の社会保険料負担率が50%近くなったことを受けてのテレビの討論番組(BSプライム)のタイトルに、「五公五民の江戸時代?」というサブタイトルが付けられていました。江戸時代の年貢負担率と同じだと言いたかったと思いますが、まったく事実と異なります。

まずはその比率ですが、江戸時代初期でこそ、7公3民や、6公4民もあったが、それ以降は4公6民、あるいは3公7民にまで低下しています。新井白石の著書には「3公も割り込んでしまった」とあります(出所:「貧農史観を見直す/佐藤常雄・大石慎三郎」P16)。

次に、そもそもの分母(土地の石高)ですが、全国の土地の石高を調べた「検地」は、17世紀末には終了し、それ以降実施されることはありませんでした。つまり、生産性の向上分は考慮されないままでした。

そもそも、江戸時代が貧しい人々の暮らす時代だったならば、多くの庶民が「伊勢参り」などできるはずもない。江戸時代の人々の識字率は世界でもトップクラス(もしかしたら世界一?)だったのはよく知られていますが、これも貧しかったことと対立する事実です。

前回述べたように、贅沢品であった「絹」製品(呉服)の需要が爆発的に伸びた社会は、とても「貧しい」とは言えないでしょう。

都市人口の比率は世界一だった


「都市人口」は文明の一つの尺度ですが、18世紀末までに日本の人口の6〜13%は、人口10万人以上の都市に居住しており、これは同時期のヨーロッパの2%をはるかに上まわっています(出所:「リオリエント/アンドレ・グンダー・フランク著/山下範久訳」P206)。同書には続けてこうあります。

「ローマと同様、日本も一日にして成ったのではない。一世紀にしてなったのでさえないのである」(同書P206)

続く(次回から本題に戻ります)

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