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1-15.ザビエルの見た日本(余話として)

ザビエルを運んだ船

ザビエルが乗ってきた船も、マラッカに居を構えていた中国人商人(倭寇)のものでした。鉄砲と同様にキリスト教も倭寇の作り上げたネットワークによって日本にはいってきたのです(出所:「世界史の中の戦国日本/村井章介」P144)。その船主の目的は、ザビエルを日本に送り届けることではありません。マラッカを出航したあと、中国沿岸域の各所に停泊を繰り返し、そこで商売(密輸)をおこないながら、日本にまでやってきたのです。マラッカから鹿児島まで2ヶ月かかっています。

「ザビエルの見た日本/ピーター・ミルワード」

上記名の講談社学術文庫があります。ザビエル訪日450年(1998年)を記念して出版されたものの文庫化です。著者は、1954年に来日したイエズス会神父で、以降上智大学、東京純心女子大学の教授を務められています。取捨選択したのかどうかはわかりませんが、同書に納められているザビエルの書簡の中に、一般の日本人を悪く言う箇所はありません。ただ、「僧」に関しては、かなり悪し様に書いています。

「一般にここにいる信徒は僧という者たちほどみだらなところがなく、道理に従っています。僧は言語道断の情欲の限りを尽くし、何をしても平気な顔をしています」(「ザビエルの見た日本/ピーター・ミルワード/松本たま訳」P56)

また、日本語の習得が必要なことを何度も強調しており、

「私たちがこの国の言葉さえわかれば大勢の日本人はキリスト教徒になるでしょう。できるだけ早く日本語を覚えたいものです」(同書P58)

別の書簡では続けてこういいます。

「大抵の日本人は字が読めるので、私たちの教会の祈りもすぐに覚えます」(同書P61)

この当時の日本の識字率について、ザビエルの印象としてそう映ったのは驚きです。

下記には、要するに外国人には意地悪だと、これまでと矛盾したようなことが書いてあります。

「日本人は名誉を欲しがる国民で、自分たちはほかのどの国より武勇に秀でていると思っています。日本人は戦争に関係のあることを重んじ、また、それを光栄に思っています。(中略)日本人は相手にはていねいですが、外国人には決してそうではありません。」
(同書P86)

苦肉の策「temporas=天麩羅」

おそらく、相当に困っていた問題が食生活だったと思います。

「(前略)・・・ところがここにはおいしいものは何もないのです。いくら食べたいと思っても肉体を満足させるものは全然ありません。ここに住んでいる人びとは決して鳥を殺して食べたりせず、常食は野菜と米で、小麦も、魚も、リンゴも、その他の果物も、すべてぜいたく品になっています。」(同書P64)

宣教師たちの日本での食生活をなんとか豊かにするための手段が「天麩羅」でした。その語源がポルトガル語にあるということはご存知の方も多いと思います。

宗教上の断食といえばイスラム教のラマダンが有名ですが、キリスト教にも復活祭前の40日間は一切の肉食を断つ習慣がありました(今でもあるかどうかはわかりません)。その期間をポルトガル語で「temporas」と言ったのです。その肉断ちの前に、たらふく肉を食べるカーニバルが「謝肉祭」です。肉断ちをしている期間中、彼らが肉の代わりに食べていたのが、ニシン、タラ、ウナギなど魚の揚げ物がありました。ちなみに、トマトやジャガイモなどの野菜は当時のヨーロッパにはありません。それらは次の世紀になって南米から持ち込まれたものです。ウナギの食べ過ぎで死んだローマ教皇もいたらしいです。当時のヨーロッパの食生活は、一般人だけにかぎらず、王侯貴族たちもアジアと比べれば、とにかく貧しかったのです。ただ肉があればよかっただけといえると思います。

その揚げ物を日本でもおこなったのでしょう。彼らにとっては肉断ちが1年中続く難行苦行だったと思います。今でも日本の天ぷらの材料に「肉」はありませんね。500年前からの慣習が今に続いていることに非常に驚きます。

ピーター・ミルワードの言葉

著者も「日本人の気質は450年たってもさほど変わっていない」(同書P137)と、わたしが抱いた感想と同じこと述べています。

なんと不思議な国なのか・・・。

閑話休題、次回本題に戻ります。


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