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5.予兆

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東シナ海における2大プレーヤーの一国だった清が、イギリスの侵食を受けはじめ、ついにはアヘン戦争が起こります。その結末は幕府を震え上がらせました。一方、アメリカ船は日本へ頻繁に姿を… もっと読む
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記事一覧

5-13.動きだすアメリカ

日本開国提案書 1849年9月、アメリカニューヨークで法律事務所を営むロビイスト、アーロン・…

Ryo
1か月前

5-11.アメリカ人青年の夢

初のネイティブ英語教師 前回述べたラナルド・マグドナルドのことを書きます。 彼は夢を果た…

Ryo
1か月前

5-12.洋式船の建造

怪しい通訳 1849年6月には、神奈川県城ヶ島沖にイギリス軍艦マリナーが姿を現しました。同艦…

Ryo
1か月前
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5-10.アメリカからの使節

アメリカ使節ビッドルの来航 翌1846年には、浦賀沖にアメリカの軍艦2隻がやってきました。184…

Ryo
2か月前

5-9.頻繁になるアメリカ船の来航

漁場に殺到するアメリカ捕鯨船 1845年以降、多くのアメリカ船が日本近海で目撃されるようにな…

Ryo
2か月前

5-8.オランダ国王からの親書

後世、「江戸幕府」の評判 この頃から崩壊までの江戸幕府の評判は、よくないと感じています。…

Ryo
2か月前

5-6.情報は即座に日本へ

革新官僚林則徐 清朝は海防にはほとんど力をそそがず、イギリスの船舶が急速な技術革新のさなかにあったのに対して、中国の船は、17世紀からほとんど変わっていませんでした。そんな中で最初の欽差大臣であった林則徐は、ロンドンで1834年に発行された「地理学百科事典」を翻訳させ、友人魏源には世界の情勢を調査させるなど、西欧事情を調べはじめており、広東の沿岸でも現状でできうる限りの一応の海防体制は強化していました。林は保守的な官僚ではなく、世界情勢にも広く目配りした革新的な官僚といえま

5-5.アヘン戦争

勃発 清朝皇帝の命令によって広東に派遣された林則徐は全権(欽差大臣)を与えられて、1839年…

Ryo
2か月前
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5-4.アヘン戦争までその2

インドでのイギリス 17世紀初頭にオランダとの競争に敗れ、東南アジアではなく主にインドを活…

Ryo
2か月前
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5-3.アヘン戦争までその1

モリソン号を打ち払った3年後、オランダからの情報(「別段風説書」(後述))により、幕府を…

Ryo
2か月前
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5-2.モリソン号事件その2

オリファント商会(アメリカ) 同じ頃、アメリカニューヨークにある会社「オリファント商会」…

Ryo
2か月前

5-1.モリソン号事件

正体不明の船 1837年7月、突如江戸湾(三浦半島城ヶ島沖合)に1隻の船が現れました。この時点…

Ryo
2か月前