真鶴町の民俗資料館について

先の定例会において、真鶴町では民俗資料館設置条例の廃止が可決、
同時に民俗資料館存続を求める請願が本会議で採択されました。
廃止と存続が同時に可決、採択されると言うのはおかしいのではないかという声をいただくこともあります。
字面だけ見るとそう思ってしまうのですが、内容をみていただければこれは両立しうるものであることは間違いないと思っています。
現に、私はどちらも賛意を示しました。
ただし、わかりにくいものであるのは間違いありませんのでそこについて詳しく書いていきます。

ことのあらまし

そもそも、存続を求める請願が出されたのは広報まなづるの8月号に民俗資料館閉館の報せが掲載されたことです。
下記リンクの12ページです。

https://www.town.manazuru.kanagawa.jp/material/files/group/1/kouhou202408.pdf

真鶴町にとって、特に町の基幹産業である石材の歴史において重要な功績を果たした土屋大二郎に深い縁を持つ資料館を突如閉館とはどういうことか、というところで存続を求める請願が出たと記憶しています。

なぜ閉館するのか

ここで、なぜ閉館をするのかを深掘りします。
広報の中でもある通り、資料館の中にある資料そのものは基本的に保管場所を移して保持していく予定で、実際に令和6年度予算にも文化財の移動に関する予算は盛り込まれ、可決されています。
現在の民俗資料館では雨漏りもしており、収蔵品にブルーシートをかけて保管しているものもありました。
このままでは貴重な資料をきちんと保管ができないのではないか。
実際に川崎市では地階にあったミュージアムの収蔵品が台風の際に浸水被害に遭い、それについては川崎市側の責任があるとして20億円を求める住民訴訟が起こされています(請求は横浜地裁では棄却されています)。
ちなみに上記住民訴訟で横浜地裁は棄却の理由において「ハザードマップの推定浸水などから考えるにこの浸水被害は予見できなかった」とされています。
真鶴町の場合は民俗資料館はハザードマップによれば津波の浸水地域の中にあります。

町としては抜本的な修繕は難しい、資料を別のきちんとした保管ができる場所へ移し、将来的には別の町有施設などで展示を行うことを検討しており、その結果先の閉館の報せとなりました。

これについては広報に掲載される以前にも予算委員会や別の公有施設の廃止や移管などの議題の際など、折に触れて示されていたものではありました。

町が考えていた今後について

真鶴町としてはこの民俗資料館については、民間の力を借りて有効活用を目指していました。
民間の力というのは主に修繕や改修に関わるお金、どのように活用していくかのアイディア、またはそこに関わる人的資源なども含めてです。
民俗資料館は公有財産の中でも行政財産となっており、用途なども設置条例で定められている状態でした。
そこで、真鶴町は設置条例の廃止を議案として提出しました。

請願提出

https://www.kanaloco.jp/news/government/article-1104180.html

閉館が発表されたところ、それを受けて町民の方によって構成される団体より資料館存続を求める請願が出されました。
資料館は旧土屋邸で行なってこそ意味があるという趣旨であると理解しています。
私も団体の方にお話をお伺いする中で、土屋大二郎という方の功績の大きさとあの建物が如何に稀有なものか、そしてそこで真鶴の歴史を展示することの意味合いについて、己の勉強不足を恥じるとともに認識を改めました。

請願というものは、紹介議員という存在がいます。
請願を出すにあたり議会議員の紹介がないと提出ができないというものです(紹介議員がいない場合は陳情という形で提出いただけます)。
請願と陳情については以前議会だより内に特集記事を書いていますのでよかったらご覧下さい。

https://www.town.manazuru.kanagawa.jp/material/files/group/38/gikaidayori80.pdf

本請願においては、紹介議員が6名いらっしゃいました。
この時点で真鶴町議会の過半数を超えているわけで、普通に考えれば請願は採択されるものです。

請願と条例廃止の両立

さて、ここで条例廃止と請願が出揃いました。
先に述べた通り請願は採択が確実です。

私も紹介議員とはなっていませんが、その趣旨には賛同できるものがありました。
反面、今の状態のまま残したところでおそらく5年以内には再度運用の限界がきて閉館の話が出てくるのは確実だとも考えていました。
要約すると、「残したいけど今の形のままでは無理である」というのが私の考えです。
逆を言えば、「長く残すなら今ここで形を変えなければいけない」と思っています。

これを当てはめて今後の運営を考えたときに民間の力を借り、今と違った機能を持たせることで同時に自走できる収益性を持ち、今の規模でなくとも収蔵品の展示機能を持たせることがベストだという考えに至りました。

岩地区のふれあいの場とした時に起こる条例の障壁

また、重要なのが今と違った機能という部分です。
民間の利用方法として収益性を持たせる施設、例えばカフェなのか、レストランなのか、宿泊施設など色々な機能が考えられますが、ここで話したいのはそういったものではありません。

民俗資料館のある岩地区においては、集いの場となり得る施設が他のエリアに比べると、公共の物だけに限定してもかなり少なく、ほぼゼロです。
この問題に関して周辺地区の方や施設利用者の方に話を聞くとそういった集いの場としての機能があればという声は多く聴こえてきました。

しかし、そうなってくると現在の設置条例は一つの障壁となり得ます。
というのも、廃止前の条例では第一条で文化振興としての目的が定められており、同第四条では教育長が認める場合を除きその目的に沿った目的しか認めないとなっていました。
実際に以前、民俗資料館にてコンサートを開催しようと利用を申し込んだが断れたという方にお話をお伺いしたことがあります。
どういった背景だったのか、条例を見て腑に落ちました。

もう一つ、私が議員になる前の議会で交わされた別の議員の方の一般質問の中で、町はこの民俗資料館について「将来的には賑わいや集いの場なれば」という答弁を行なっていました。

町民からの需要、要望も多くある、町もそれを理解している機能に対して、
ただこのままの条例であればそれ自体が障壁になるので、集いの場としての機能を持たせようとした時に廃止は必要ではないかと担当課に問いました。
(その時の様子は下記リンクからご覧いただけます。)
https://www.youtube.com/live/oMTGqmzMTII?si=Uqft76Px-cK3X0Wz&t=2230

回答としては条例の趣旨からすると中身を変えなければいけない、または中身を変えないにしろ教育財産に位置付けられているのでそこで制限がかかる可能性もある、とのことでした。

民俗資料館が存在すること=条例が存在することではない

先ほどの動画、全員協議会なのですがその中で私は「民俗資料館が存在すること=条例が存在することではない」という主張をしました。

というのもそもそも民俗資料館を町が建物を購入し、設置条例を制定したのは令和元年ですが資料館そのものは昭和61年から運営されています。
単純な話、条例がなくてもあっても民俗資料館は民俗資料館たり得る。

これについては動画見返したら町長も頷いてたので間違ってはいないかな(冗談です)。

民俗資料館としての機能維持

町としては活用については青写真があるものの、民間が関わるというところで確約というものは出来ません。
ただその中でも民俗資料館としての一部機能維持は再三訴えました。
訴えたところでこれもまた、確約を求められるものでもありませんが、
ただ前向きな回答はいただけたと解釈はしています。

つまり、両立は自然であるし、ベストである

ここまで読んでいただければわかっていただけると思うのですが、私は町の主張と請願の間で無理矢理折り合いをつけさせる為に両立が可能なロジックを探し当てて主張しているのではありません。

また、存続を求めていた方からも両立することへの疑問やお叱りをいただくこともありました。
条例廃止を求める側からも中途半端ではないかという声も受けることがありました。
もし民間活用が行われるとすれば、あまりこういった制約が入ることは必ずしも民間企業に歓迎されないことは理解できます。

ただ今回の案件を考えた時、
「重要な歴史を長く残す為に」「地域の人たちの需要に応える施設であるに」そのためにはどうすればいいのか、そして一番は「この施設のオーナーである町民全体に対し理解を得られること、有益であること、負担なく持ち続けられる為に」という観点で見た時に、今回迫られた選択の中では両立がベストであるという判断は今も間違っていないと思っています。

しかし、これで終わりではなく運用が開始されてからが本番だということも理解しています。

あなたも「資料館の今後」に参加してみませんか

正直なところ、資料館については無くしてしまった方がいいという町民の方もいらっしゃいました。
これは我が町に限ったことではないのですが、やはり財政が厳しい中で資料館はじめとした文化的施設というのは予算削減の的になりやすい傾向があり、その中でも幅広い世代が多面的に意味の見出しやすい美術館や博物館と比べて、資料館は苦境に立たされています。

今回、多くの方の意見を聞いて議員各位もそれを持ち寄りいつにも増して議論を行なってきましたが、当事者として、まだ色々な考えを持った町民の方もいるのだろうなと考えたりもします。

https://www.town.manazuru.kanagawa.jp/material/files/group/42/20241130_enjoyworks.pdf

今後真鶴町、及び包括協定を結んでいるエンジョイワークスによる民俗資料館の未来を考えるワークショップが開催されます。
ぜひ多くの方に参加いただき、多様な意見が出るといいなと思っています。

総括 奇妙だったこと

さて、今回の案件を扱う上でひとつ、大変奇妙に思ったことがあります。
なぜ、令和元年に3400万円かけて旧土屋邸を購入したのかということがほぼ全く話に上がらなかったことです。
先ほど書いた通り、民俗資料館としてのスタートは昭和61年で、38年間の歴史があります。
町が運営したのはそのうち6年間だけです。
その中で対処療法的な修繕も含めて建物に対する初期費用と合わせれば4000万円弱を投じて、そして6年で持ち続けることへの限界がきています。

先に紹介した通り、町からは「にぎわい、集いの場」としての機能を望みつつそれができない条例が制定されてそのままでした。

理由がなかったわけではないとは思いますが、ただこの状況であれば更なる多額の修繕費という公的資金の注入というものは首を縦に振りかねるものでした。

今回、私の決断はこの購入時の動機というものに関わりがない材料で判断できるものでしたので検討の支障はありませんでしたが、
ただ本来は非常に重要な情報ですから、
そのまま全体の議論が進んでいくことに対し、非常に奇妙さを覚えました。

逆に言えば、我々が今判断を行うことに対してもなんらかの形で残すこと、ブラックボックス化しないことは重要だなと感じました。

お読みいただきありがとうございました。

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