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嫌われ者が「嫌われる勇気」を読んで

私は嫌われている。現在のテーマ「企業変革」に取り組む中でまた嫌われた。「企業変革」や「両利きの経営」に関してはじっくりと書いていきたいが、少し刺激的な文章を社内に発信した。ハレーション必至!そして「また嫌われたなぁ」と思ったときに、本棚の一冊が輝き出した。

「嫌われる勇気」。ベストセラーであり、タイトルが好きだ。でも、本音では嫌われたくない。でも、嫌われてでもやらなければいけない。でも、嫌われたくない。いや、そもそも嫌われてる。別に嫌われたっていいんだ。そんな自問自答を繰り返す。「また嫌われたなぁ」という感情と、社員からのフィードバックの中で読むと以前読んだときとは異なる感情が湧いてくる。

あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。
一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。
これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。

アドラー心理学の中で出てくる「課題の分離」。他者の課題には介入しないこと。気持ちが少し楽になるとともに、今の自分の役割的にはなんとも言えない感情が…

刺激的な文章とメール、詳細はかけないが、

・企業変革を一緒にやるんですよね?社外にも宣言して進みはじめて半年

・これをやっていくと書いてあるけど、なんで嫌なの?読んだの?

・自分ごと化してる?半年間何かやってきたの?

・(そんな刺激的な文章を)見て、みんなはどう感じた?

という感じ。ちなみに、500人くらいにメールを送って40人くらいが返信。そのうちポジティブが9割(救われた!)残りの1割がネガティブ。フィードバックがない人が全員ネガティブの可能性もあるが…

さて、先程の「なんとも言えない気持ち」。つまり私の発言、メールに対してどう受けとめるかは受け取った側の捉え方。そこは他者の課題で介入すべきでないということになる。そしてネガティブ層に共通していることは、今働いている会社のことは好きではない、というかそもそもなんでこの会社に入ったの?という部分が欠落している。別に、会社を好きにならなくたっていいとは思うけど(その場合はこの会社にいる必要はないけど)、「あなたの人生、それでいいの?」「5年後、10年後のありたい姿は?」と聞いてみたくなる。自分の人生、自分で決めてくれ、と。

企業変革、トップダウンでできるわけがない。働く一人ひとりの意識が変わることがスタートライン。意識を変えて実行に。実行している仲間も多い。気持ち的には「全員で行くぞ!」、なんだけど、そんなネガティブ層に対して他者の課題であれば私にはどうすることもできない。

全社員で、という気持ちを持ちながらも、限られた力は前を向いて一緒に進み始めた仲間に割くべきだと思っている。けど…

今日の天気のようにスッキリしない感じですいません。答えはない、と言い聞かせながらも悶々とする水曜日。とにかく動き続けよう。

他者がわたしになにをしてくれるかではなく、わたしが他者になにをできるかを考え、実践していきたい

まとまりがなくなってしまったけど、私は社員に何をできるか、与えることができるのか、実践していきたい。


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