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拠点は必要か

先日、旅をするように仕事をしたいと書いたところ、親切なnoteさんが、もう実現している方の記事をしこたま「あなたへのおすすめ」として表示してくださるようになりまして。

車中泊などを楽しみながら、お仕事もこなしつつ、旅をしている……みたいな。旅をすることが日常になっている感じですね。素敵。

わたしは自分としては、割と根無し草みたいな生き方をしている(なっちゃった)気がしてましたが、実際に旅をしながら仕事をしてらっしゃる方を拝見すると、もはや前提が違いますね。

そもそも拠点という感覚がないというか。確かにそれで良いし、そこに憧れるのですが。

山梨を代表する我らが大スター、シンガーソングライター岩崎けんいちさんの「11時50分」という歌の歌詞にこんなフレーズがあります。

どこへでもゆけるから、ここにいるんだ
ここにいるから、どこへでもゆけるんだ
岩崎けんいち/11時50分

どこにでも行けるけど、ここに居る。一見、自由なようで、拠点という発想があるように思えます。ここに居るから、どこにでも行けるは、そのままですね。あくまでも、額面通りに受け取れば……ですが。

もちろん、「ここ」というのは、物理的な場所を指すだけではないでしょう。いわゆる心の拠り所かもしれません。

なんとなくですが、旅をするように仕事をするという境地に達するためには、「物理的な場所」という意味での拠点から、発想が離れなければ達成できないように思えます。

それには、たぶん、親や親族などの関係性から、健全に独立するということが必要な気がします。

なんだろうな、頭が固くなっているのかな、長男だからかな、何か拠点ありきのどこかへ行くという発想にしかならないんですよね。それがダメというのではないけれど、何かが違うような。

まぁ、実際やってみれば、すべて解決する話なのですが。

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