持続するために強制力をつくる
ガンガン動いていきたい衝動はあるものの、そのとおりにならないのは、時間が確保できないから。そして、その時間が確保できないのは、いわゆる労働集約型の動きをしているからでしょう。しかも、時間あたりの効率が著しく悪いと。
このあたりを改善しないことには、サクサク動けない感じではありますが、まずは目の前のことをこなすしかありません。
ここで問題になってくるのが、悔しい思いを原動力にしたときに、それが維持できるのかどうか……ということ。
臥薪嘗胆じゃないけれど、固い薪の上で寝たり、苦い胆をなめたりするなど、意図的に復讐の志を忘れないようにしなければ、モチベーションのようなものは容易に薄れるということですね。
いや、別に復讐する……みたいな野蛮な話じゃないのですが、この原動力をどう維持するか……ということですね。
要するに、悔しさをバネに……みたいな話は、瞬発力はあるものの、持久力がないのが、経験上、わかっているわけです。だから、そういう一種の負の気持ちを軸にするのは、わたしの場合、まったくもって得策ではないですね。
では、どうするか。
ひとつの仮説として(いや、仮説でもなんでもないけれど)、誰か他人を巻き込むという、ある意味、責任が発生する状況を作ってしまう……ということが、継続性という観点では有効じゃないかと思うんですね。
考え方によっては、酷い話ですが。迷惑をかけるわけにいかない……という気持ちから、無理矢理、強制力をつくるということです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?