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持続するために強制力をつくる
ガンガン動いていきたい衝動はあるものの、そのとおりにならないのは、時間が確保できないから。そして、その時間が確保できないのは、いわゆる労働集約型の動きをしているからでしょう。しかも、時間あたりの効率が著しく悪いと。
このあたりを改善しないことには、サクサク動けない感じではありますが、まずは目の前のことをこなすしかありません。
ここで問題になってくるのが、悔しい思いを原動力にしたときに、それが維持できるのかどうか……ということ。
臥薪嘗胆じゃないけれど、固い薪の上で寝たり、苦い胆をなめたりするなど、意図的に復讐の志を忘れないようにしなければ、モチベーションのようなものは容易に薄れるということですね。
臥薪嘗胆の由来・語源
臥薪嘗胆の成語は、『十八史略』の「春秋戦略」に見える次の故事に由来する。春秋時代、呉王の闔呂(こうりょ)は越王の勾践(こうせん)と戦い、敗れて死んだ。闔呂の息子である夫差(ふさ)は、父の仇を討つために固い薪の上に寝て、その痛みで復讐の志を忘れないようにし、三年後に会稽山で勾践を降伏させた。敗れた勾践は、室内に苦い熊の胆を掛けて嘗め、その苦さで会稽の恥を忘れないようにし、十数年後に夫差を滅ぼして、会稽の恥を雪いだ。
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いや、別に復讐する……みたいな野蛮な話じゃないのですが、この原動力をどう維持するか……ということですね。
要するに、悔しさをバネに……みたいな話は、瞬発力はあるものの、持久力がないのが、経験上、わかっているわけです。だから、そういう一種の負の気持ちを軸にするのは、わたしの場合、まったくもって得策ではないですね。
では、どうするか。
ひとつの仮説として(いや、仮説でもなんでもないけれど)、誰か他人を巻き込むという、ある意味、責任が発生する状況を作ってしまう……ということが、継続性という観点では有効じゃないかと思うんですね。
考え方によっては、酷い話ですが。迷惑をかけるわけにいかない……という気持ちから、無理矢理、強制力をつくるということです。
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