消しゴムの虚無感
小学校の道徳の授業だっただろうか。モノを大切にするために、「そんなことをしたら、“鉛筆”が可哀想…」などと擬人化して同情を誘うような教育を受けたのは。
そんなことを思い出していたら、机の上の消しゴムと目が合った。
消しゴム「別に他人に評価してもらいたくて仕事をしているワケじゃないけどさ。ボクだって“身を削って”働いているのに、その結果を“カス”って言われるんだから、頭にくるんだよね。生きた証も遺らないし、なんだか虚しくなっちゃった。鉛筆ちゃんがうらやましいよ」
同じ“身を削る”仲間とはいえ、鉛筆と消しゴムでは実に対照的。身を削って生きた証を遺していく鉛筆と生命の灯を削っていく消しゴム。確かに虚しくなるかもしれない。きっと鉛筆ちゃんは感謝しているよ…なんて言葉は無意味に違いない。
気の利いた言葉も見当たらず、どうしたものかと思っていたら、おもむろに低い声が聞こえてきた。
カッターマット「俺は消しゴムくんと同じゴム製だけど、文字を消すことだってできない。カッターさんに切り刻まれて、ボロボロになったらお役御免だ。生きた証だって遺らない」
消しゴム「カッターマットおじさん…」
満身創痍のカッターマットの言葉には重みがある。
カッターマット「カッターマットとして生まれた以上、自分の意志で宿命は変えられない。でも…。虚しいなんて思わない。どんなにカッターさんに切り刻まれても、目打ちさんに貫かれても、決して机くんを傷付けないって決めたんだ。生きた証に何の意味がある? 俺は机くんを死ぬまで守り抜いて見せるよ」
消しゴム「かっこいいぜ、カッターマットおじさん。そうだね、ボクも摩擦熱で燃え尽きるくらい消しまくってみるよ!」
消しゴムは目をギラギラ輝かせて出番を待っていた。持ち主が消しゴムを手にすると、突然、彫刻刀で切りつけられ、気を失ってしまった。目を覚ますと、消しゴムはんこに生まれ変わっていた。
鉛筆「良かったわね。これで生きた証が遺せるわよ。願いが叶ったじゃない」
消しゴム「そうか…。あれだけ願った生きた証…。でも、もうボクは消すことはできないんだね。やっぱり、なんだか虚しいや…」
消しゴムの横腹に刻まれたニコニコマークが切ないくらいに笑顔を振りまいていた。
----------キ-----リ-----ト-----リ----------
こちらの物語は、8年前に思い付きで投稿したFacebook記事の内容です。
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