24歳,夏,8月,雀荘アルバイトを振り返る

起:最近のかわい君

4月から晴れてIT系の会社に就職し、何とか普通の顔をしながら生活をして居る今日この頃ですが、他の人はどんな社会人の慣れ方をしたのかなぁ、と考える日々です。僕はまだ社会人になった気になれません。

承:大学のアルバイト時代を思い出す

大学生の時はですね、高田馬場のWというチェーン店で働いていました。入店したのは2年の秋ごろだったけれども、実は塾講師もしていてそっちに力を入れており、本格的に力入れたのは3年夏、冬あたり。

その頃から麻雀が少しづつ上達してきて、でもやっぱり常連さんや先輩は強かったり、毎日あーだこーだ愚痴を言っていた気がする。

だんだん成績も気にするようになり、サンマにドはまりし、4年になり、バイト先の知り合いみたいな(今は超が付くほどの大切な友達)にセットでぼっこぼこにされ、リゾートバイトで金を返す、、、みたいなね。

あの時間って当時も楽しかったと思うんだけど、今思い出したら当時感じていた時より楽しかった気がする。今の現状が楽しくないってことでなく、つまり相対的に楽しかったわけではなく、絶対的な目線で楽しかった。

あの頃から比べたら、そりゃあちょっと、いや、結構強くなれたけど、でも麻雀に使える時間はやっぱり減っていて、なんだか寂しい気持ちでいっぱいなんですよね。これが俗に言うノスタルジックってやつで。

転:現在の麻雀との向き合い方

じゃあ今麻雀できてないのか!?って言われるとそうでもない。

時間は減ったが濃さが違ってきた。
じゃあその「濃さ」って何よ、ってことなんだけどさ、

物の見方の視点が増えた気がしている。もっというと、目的がしっかりし始めた感覚がある。

(これは完全に持論だけど、)
サンマって刹那的に見えて実は連続性が四麻に比べて大きいゲームなんだな、って思うわけですよ。

例えば、

南家スタート
東1    親満横移動
東1-1 親倍ツモ
東1-2 親跳ツモ 西家トビラス
ゲームセット

っていう1ゲームがあったとしても、
この1ゲームを
「親のバカぶき!!!!!!」って捉えるのか、

「なんでこうなった?できたことはなかったか?そもそもどんな上がり方をしていた?西家はどんな字牌の切順をしてた?親満横移動の時西家はどっからどうして放縦したんだ??」って1ゲームから読み取ろうとするかって、

すごく大事なことだと思っていて、実際僕が強くなれた理由はここにあると思う。
そもそも、要素未確定ゲームなので、絶対的な答えを知ることはできないけれど、前者の状態で次のゲームに進むのと、後者の状態で次のゲームに進むのって、絶対的にアドになることの方が多いよね、ってこと(前述した連続性的なこと)を、

大学半年留年して、半年フリーターやってた冬にやっと理解ができたのよ。

もちろん自分の中での解釈だから、ここまで読んでくれた人にそうしろ!!!って言いたいわけじゃなくて、自分の麻雀が強くなるための方法を雀荘アルバイトの最後の方に見つけてしまって、それが心残りになってるのよね。この目線が増えたことで、雀荘に1回行く毎の濃さが増えたなぁって感じています。

あの頃、もっと早く気づけなかったかなぁ。とは意外と思えないものです。不思議だね。

結:結局何してるの?

「じゃあ、君はその心残りがあって、日々客としてサンマを打つんだね?」
いいえ。月に3回くらい五反田RONで働き始めました。
結局僕は、麻雀という、サンマという魔力にひかれて、今日も麻雀のことを考えているのです。
そしてさらには、Thanmという高田まさひろさんが作ったサンマのリーグ戦に出場しています。9/3(日)はC1リーグ第2節。1番下のリーグだから、とか関係ない。全力でやります。
目標はA1リーグ到達です。
対戦よろしくお願いします。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?