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お久しぶりです

 なんとか、生きてます。
 死にたいと、思いながらだけど、もがいて、生きています。

 ずっと、自分の力じゃどうにもならないものとどう折り合いをつけていくかを模索して、いつかその圧倒的な力に潰されてしまうんじゃないかという恐怖と戦って、人間や人間の持つ偏見や悪意に怯えて、人間への猜疑心ばかりが募っていって、そうして、何度も死にたいと、永遠に眠りについて二度と目覚めたくないと、そう思いながら、今日まで生きてきました。

 親に対しても、「一番大事なのは世間体であって俺の幸せじゃないんだろうな」とか、「どうせ国家の言い分こそが正義で、国が俺の犠牲を望んだら、躊躇なく俺を差し出すんだろうな」とか、ずっと思ってきました。
 小学校の頃にいじめられてた時も「きっと貴方が好きなんだよ」だの「貴方にも原因があるんじゃないの」だの「ここで逃げたら一生逃げ続ける事になるよ」だの言ってばかりで、逃げられなかった。本当は大学じゃなくて専門学校に行きたかったのに、「大学を出てくれ」と言って、そしてしばらくしたら言った当の本人は忘れているのです。卒論で行き詰まって苦しんでやめたいと思った時も、同じ感じでした。
 
 俺は逃げたかった。あの時逃げられていたら、ここまで拗れてなかったのに。

 思えば、学校も大嫌いでした。朝早く起きて時間割通りに教室に詰め込まれ、ひたすら喋る教師の言葉を聞いては黒板の内容をノートに書いていくのみ。授業が終わると教室は物凄くうるさくて、逃げるように図書室に避難していた。
 そも、俺は人間が大嫌いで、真の意味で自分の味方であってくれる人間なんて実在しないと、そう思いながら生きてきました。利害が絡んでいるからだろうとか、一人になりたくないから一人でいそうなこいつの側に寄ろうって魂胆があるのか、自分という面倒な人間にも優しくすることで他の人に「いい人」だと思われたいのか、とにかく、そんな疑いばかりが脳内に現れては離さないのです。

 最低ですね。
 俺も、最低で大嫌いな人間のひとりだ。
 けれど、生きていかなければいけない。
 なんて、残酷なのだろう。

 似たような理由で、バイトもなかなか探せなくなりました。また労働基準法違反な引き止め方をされて、限界なのに円満な方法で辞められなくなるかもしれない。また無神経にも異性愛者前提で話を振られるかもしれない。まためいいっぱい8時間のシフトを入れられてしまうかもしれない(俺は長時間働き続けることは出来ないのです)。そんな疑いが頭から離れないのです。

 それでも、生きていかなくてはならない。
 それでも、道を模索していかなくてはならない。
 それでもー

 たくさんの憎悪を抱えながら、生きていかなくてはならない。

 願わくば、誠実に、善人のまま、生きていたかった。
 これは、善人で優しかった俺への鎮魂歌だ。

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