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頑張りたくない。

サムネイルは、みんなもよく知る、、、そう、、、

モンスターである。友人が誕生日に箱でくれた。

モンスターはよしゲームしよう!遊ぼう!勉強しよう!と思い立ち頑張ろうとする時に飲んでいる。がんばるのハードルが低すぎないか?と思う人もいるだろうがこれが私なのだ。

今回はその頑張ることについて書こうと思う。

先日のこと

先日のことだが、尊敬しているバイト先の店長にこのようなことを言われた。

店長:
君はインターンしたりいろんな所に顔を出しているけど、灯台下暗しだよね。俺の意見だけどまずは目の前のことにもっと打ち込むべきなんじゃないかな。
広く浅くやると結果的に薄っぺらい経験になるんじゃないのかな。

確かにそうではある。例えばそこのバイトでもめちゃくちゃ積極的に働いているわけではない。ただ雰囲気が良くて、一人暮らしの自分に取っては実家みたいな居場所で、だから続けているようなものだ。
部活だってそこまで本気ではやっているわけではない。ただサッカーをするのが好きだからやっているだけだ。

これを受けて自分は以下のように答えた。

自分:
確かにそれは納得できます。自分は人として成長するために能動的に色々やってみてるわけです。でも自分は、極めたり努力するの苦手なんですよね。
頑張りたくない自分は、なりたい自分を求めるのではなくて、
ありたい自分を探すべきだと思うんです。
その1つの方法として貢献感(嫌われる勇気参照)や、感謝されることを知ろうと思って、自分に合う組織を探したり、自分の特性を知ろうとしているわけです。

そしたらこう言われた。

店長:
でも相手に認めてもらって、感謝されるためには、結局頑張って仕事をしたり、結果を出したり、やる気を見せたりしなきゃいけないと思う。

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疑問

もちろん頑張らないといっても、与えられたタスクはこなさないといけないだろうし、最低限の努力は絶対必要だとは思う。

しかし果たして本当にそうなのか?絶対にどこかで頑張らなければならないのか?競争に勝って、相手に認めてもらうまでずっと努力しなければいけないのか?

めちゃくちゃ努力する方法でしか、世の中で感謝されず、認めてもらえないなら
本当に世の中窮屈だな。

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まぁそんな感じでがんばらなくても、生きていけるし、貢献感を持てる場所を探そうと思う。

現実逃避的な考え方だけど、自分が本当に打ち込めるものが見つかっていないだけかもしれないし。






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