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今TVドラマの存在意義とは、正面から社会を描いた逃げ恥 <野木亜紀子脚本『逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類! 新春スペシャル!!』>

ネットが世界を覆い、情報が飽和する社会の中で。テレビが発信する情報というのはいかほどの価値があるのか。社会の流れを見るとテレビは「オワコン」にも見えるが、実際には今も大きな影響力を持っている。日常的にテレビを見ない人は増えている(私もその一人だ)ものの、Twitterであっても「テレビの話題」がトレンドに入る傾向は根強い。日本の人口のボリュームゾーンであるところの高齢者に関しては、一番の情報ソースがテレビである場合が多い。そんな中で、コンテンツ発信媒体としてのテレビはどういった意義を持つのだろうか。

現状整理~『全裸監督』を例に

サブスクリプションの動画サービスが一般化した現在。NETFLIXやamazon prime videoをはじめ、Disney+などコンテンツホルダーによる独自のものまで幅広く存在する。また、YOU TUBEでは数多くのコンテンツが発信されており、お金を払わずに視聴することができる。そして、インターネットで発信するコンテンツのクオリティはもはやテレビのそれを凌駕している。今や「インターネットドラマはテレビドラマのおまけや劣化」ではないのだ。テレビドラマのほうがチープという状況になっている。なぜか。一作でその構造を説明してくれる存在がNETFLIXの『全裸監督』であるように思う。『全裸監督』がテレビではできない理由。大きく3つあるように分析する。
1つ、資金力と時間。お金と時間を丁寧にかけて製作されている作品はそれだけクオリティが上がることは自明だ。なのでそれをかける。それだけのシンプルだが難しいことを”やっている”ただその一点が”強い”のだ。時間に関しては放送枠が決まっているテレビよりもフレキシブルに対応できるという側面も大きい。
2つ、しがらみの無さ。『全裸監督』は、主演こそ人気俳優の山田孝之氏を起用しているが、ヒロインに当時無名であった森田望智氏を起用していることをはじめ、人気知名度に依らないキャスティングを行っている。演技の上手さ、役柄へのマッチ、無駄なキャラが居ないことなど、テレビドラマで発生しがちな問題を全く感じさせない。
最後、”やりすぎ”ができる。『全裸監督』は伝説のAV監督・村西とおるの生涯を描く作品だ。その題材からどうしても過激な内容になる。こうした尖った内容・表現を臆せず発信できることが、コンテンツ力につながっていることは間違いない。

『逃げ恥』に見たテレビドラマの”意義”

そんな中で、”敢えて”テレビドラマである意義とはなんなのか。僕は年始のスペシャルドラマ『逃げ恥』に、その「あるべき意義」を発見した。もともとTVシリーズ放映当時に視聴していたときから、現代社会をえぐるメッセージ性を多分に含んでいた本作。今回のスペシャルでは更にそういった要素が力強く前面に出ているように感じた。2時間程度の尺の中で「LGBTQ」「セクハラ」「育休」「男性の子育て参加への姿勢」「家事を頑張るのは当たり前信仰への批判」など、僕が気づいただけでもこれほどのトピックを盛り込んでいる。こういった、社会の中に厳然と存在する”理不尽かつ古い価値観”を理性的に批判しているのだ。
これは、「こんな世の中はおかしい」と考える人々への応援歌であると同時に、テレビの前に座っている”旧世代の遺物”への痛烈な批判でもある。
NETFLIXやYOU TUBEを見る時、人は一定能動的に”観る”選択をしている。これについて異論はあるだろうが、比較として「テレビよりも能動的」であることに反論は少ないだろう。受動的情報収集であるテレビは、観る側が情報を選んで摂取しているわけではない。それが故に、異なった価値観が眼前に現れることが発生しうるのだ。
共感する者への応援歌や賛歌であればインターネットドラマでいいだろう。だが、こうしたテーマを、ある種凝り固まった価値観を持つ人間からしたら”不快”になるかもしれないメッセージを「これが今の時代では当たり前のことなのだ」と現実を突きつけるにはテレビが適しているように思う。

これからのテレビ

しかし、現状のテレビが『逃げ恥』のようなメッセージを放つコンテンツを今後も発信できるかは疑問が残る。こういったリテラシーをもった作品はテレビでは『逃げ恥』が稀有な存在としてあるのみで数は少ない(『ねほりんぱほりん』など、ないわけではない)。数・質共に、ディズニー作品やNETFLIXの作品(『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』など)の方が圧倒的に優れている(個人的に、NETFLIXは清濁併せ呑んでいて隙がないように思う)。ここですらテレビはネットに負けているのだ。
『逃げ恥』を見た時、希望と絶望の入り混じった感情を得た。
「この作品を年始にやるとは素晴らしい判断だ。捨てたもんじゃない」
「局の人々はこの作品の魅力をわかってやってるのか? ただガッキーと星野源で人気だったからと思ってないか?」
「思ってそう……いや、でもそこまで馬鹿じゃないよな」
など、詮無い堂々巡り。
ただ、一作であろうとこういった作品がテレビで放映し、人気コンテンツであるという事実は、希望を感じる。今は、それだけでいい。

一言コメント

無駄に長々と書きすぎた。

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