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「バーニング(劇場版)」シネマダイアローグ

「バーニング」(劇場版)のシネマダイアローグに参加しました。

 好きな映画なので、この映画の自分なりの解釈を書きたいと思います。
まず、言えることは、「バーニング(劇場版)」は村上春樹の小説のイメージに非常に近い映画だということです。様々なメタファー、謎の登場人物、そして幾通りの解釈ができる結末など、小説を読んでいるときに感じるものに近いなと思いました。

ここからはネタバレを含みます。


・「バーニング(劇場版)」の登場人物について
 ベンという青年は、一見人当りのよさそうな性格ですが、その一方、ギャッビーと評されるように謎の人物です。特に彼が言った「ビニールハウスを燃やす」という言葉は何を表しているのでしょうか。
 これが実際のビニールハウスではなく、メタファーとして言っているのであれば、それはヘミを指していると言えるかもしれません。ヘミは、一見華やかに見えますが、その実、家族との関係が希薄で借金もあり、友だちもほとんどいません。(頼れるのはジョンスだけとも言っています。)ベンにとって、汚くて目障りなビニールハウスと同じだと思われていた可能性があります。少なくとも、グレートハンガーの踊りをするヘミを見るベンの様子から、ベンがヘミに深い興味を抱いていないことは分かります。

・物語の結末をどう解釈するか。
 「バーニング(劇場版)」は原作とは違い、ジョンスがベンを殺す、という衝撃的なラストがあります。でも、ここも様々な解釈ができます。大きく二つの解釈ができます。
 ①ジョンスは実際にベンを殺した。
 ②ジョンスは、ベンを実際には殺していない。つまり、あれはその前の場面で描かれている、ジョンスの小説内での想像(妄想)。
 僕の解釈では、②です。以下に理由(というか解釈)を挙げます。
 ラストシーンの前にジョンスはベンの家でパーティー(ちょっとした集まり)に出席します。ジョンスが帰るときに、ベンに「君は真面目すぎる。もっと楽しまなくちゃ、」というようなことを言われます。それを言われたジョンスは苦笑いをしてその場を去ります。
 ジョンスは、ヘミという、自分のことを求めていた人を失いました。彼女のグレートハンガー的な面や、彼女が持っているさびしさに気付かないことで。そして、父親の懲役が決定し、お金をせびりにきた母にも失望し、牛も手放し、社会的にほとんどゼロになってしまいます。
 でも彼はここで気付いたのではないでしょうか。
 自分はベンのように享楽的な生き方はできないと。たとえお金持ちになっても、ベンのように虚しさを抱えたままの人生はイヤだと。自分の中には小説を書きたい、小説を書いて人生の意味を求めたい(「グレートハンガー」になる)という気持ちがある。そうであれば、小説を書こうと。
 彼はヘミの部屋で、彼女が戻ってくる可能性はほとんどないことを知りながら、小説を書きながらヘミを待つことにしたのではないでしょうか。そして、彼が最初にすることは、想像のなかでベンを殺すこと。これは憎しみの対象であるベンを殺すという意味もありますが、自分の中にあるベン的なもの(享楽的、せつな的に生きる面)を殺すことでもあったのでしょう。彼はベンを殺し、自分の服を同時に燃やすことで、かつての自分を殺したかったのだと思います。

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