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心象スケッチ

はい、お久しぶり?です。毎回久しぶりっていってる気がします。梟です。
最近私はあること気がつきました!

私は「木」が好きだ。

そうなんです。どうしようもないほどに好きなんです。それも枝をめきめきと伸ばしている木です。生きることの生々しさと苦しさ、そして動けない木なのにも関わらず、時間と空気に焦燥感を感じてるようにも見えます。人らしきものに見えてきませんか?
けども今回はそんな木の正反対のこの世界へのニヒリズム的な側面を紹介したいと思います。

これです。写真の構図としては私はあんまりスッと入ってきません。奥の山の位置だったり、空の空間の使い方だったりが自分にとってかなり好きじゃないのです。なにか足りない、空虚である。
空虚たらしめているのは、脇から手のように伸ばしている木の枝。しかしながらその手はなにかを掴む手ではないように思います。そっと空のグラデーションを、撫でるように。真ん中になにもない、そんな状況も、この木がニヒリズムに囚われるという想像が生まれるひとつの要因でもあるのか。また、要因をもうひとつ言えば空の青にもあるのではないか。掴めるものがなにもなく、てで覆い隠すべきものも何一つない。ただ漠然と触れようのない、空間らしき、張りぼてのような、投影された光のような、はたまた、ただの絵のような。現実味が薄く、そこに生は感じにくい。

それにしてもあらゆる物事はホントにいろんな側面をもってますね。「面」というか、多分こんな感じ何でしょうけど。
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こんな風にもやってしてて互いに補完しあっていてそして、私たちはその一部分にしか決してフォーカスを当てることはできない。

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