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サントリーニ島の私のおじいちゃん【忘れられないひと、忘れられないもの#8】

飯塚 真由美(団体職員)
ギリシャ(サントリーニ島)

卒業旅行で訪れたアテネの街角で見た、サントリーニ島の絵葉書に心を射抜かれた。

真っ白な家々や、白壁に青いお椀を伏せたような教会が立ち並ぶ美しい町をいつか歩いてみたいと思い、その絵葉書を買った。そして社会人2年目、待ちに待った夏休みはこの願いを実現すべく、ギリシャのサントリーニ島とミコノス島を旅することにした。

サントリーニの空港に着いた時、ワクワクよりも不安のほうがはるかに大きかった。まだインターネットもない時代、情報はほぼ無かった。母との旅だったので、現地に着いてからその日の宿を予約するのだけは避けたかった。しかし、出発前にホテルを予約したくても、ガイドブックの数ページと観光局で見せてもらったホテル年鑑といった文字の情報しか無かった。私が予約したホテル、できることなら海が見えると嬉しいのだけど、、、と賭けるような気持ちで、ホテルに向かうタクシーの窓からゴツゴツと乾いたブドウ畑を眺めていた。何だかすごく遠い所まで来てしまった気がした。

ホテルは大当たりだった。白い町並の中の一軒で、部屋のテラスからは紺碧の海を一望できた。ただ、面食らったのは通りに面した入口に、とても怖そうなおじいちゃんが座っていたこと。この方はいわば司令塔で、いつも大抵座ったままホテルの若い者(名前はヨルゴ)を大声で呼んで「ヨルゴ!荷物を運んでくれ!」などとやっていた。

このおじいちゃん、常にホテル入口の定位置に座って、道行く人を眺めていることが分かった。怖い見た目に反して、とても人なつこい人だった。私達が外出する時は必ず「どこに行くんだ?」と聞かれ、「そうか、きれいだぞ、いい所だぞ」と。帰ってくると「どこ行ってきた?」「よかっただろ、おいしかっただろ」と必ずお話タイムがあり、私はそれをおじいちゃん攻撃と呼んでいた。おじいちゃん攻撃は回を追うごとに5分、10分、15分と伸び、しまいには「おじいちゃんに見つかると長いから、ホテルの前の通りは迂回しよう」と急いでいる時は攻撃をかわす作戦まで実行していた。

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明朝にはサントリーニを去るという夜、夕食から戻るといつもの場所でおじいちゃんが待ち構えていた。自家製のワインをふるまいたいと、陶製の水差しに入ったワインを注いでくれた。とろりと濃厚な甘いデザートワインだった。サントリーニ島がギリシャ有数のワインの名産地だという事も、デザートワインを作るには普通のワインの数倍のブドウが必要で、凝縮させるためにブドウを数週間陰干しするという大変な手間がかかるということも、知ったのはその後何年も経ってからだった。その時のおじいちゃん攻撃はとびきり長くなったが、とっておきのワインと共に島の最後の夜を楽しく過ごした。サントリーニの夏休みがずっと続けばいいのにと思った。

島を去る朝、おじいちゃんは「ヨルゴ!タクシーを呼んでくれ!空港まで!」といつもの席から指令を出し、タクシーを待つ間、小さな花束をプレゼントしてくれた。花束と言っても庭にあるハーブを摘んで束ねたと思われる、おじいちゃんお手製の飾り気の無い素朴なものだった。小さな花を沢山つけたローズマリーの尖った葉は、顔を近づけるとスーッとする香りがした。

タクシーは走り出し、私は後ろを向いたまま、だんだん小さくなるおじいちゃんの姿を見ていた。おじいちゃんはいつまでも、本当に見えなくなるまで大きく手を振り続けていた。おじいちゃんの花束を握りしめながら、涙が止まらなかった。スーッとする香りと、美しかったサントリーニ島での夏休みが終わってしまう悲しさと、何より、孫のように歓待してくれたおじいちゃんの気持ちが嬉しかったのと、色々な思いが混ざっていた。

昨年からギリシャ語の勉強を始めた。もう一度サントリーニ島に行くのが夢だ。

あの夏休みから長い年月が経ち、ホテルのオーナーも代わってしまったが、今でもあのホテルの前を通ると、おじいちゃんに呼び止められる気がしてならない。

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