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京都 一人旅で得られたこと

海外には行けないし、国内でさえも大っぴらに旅行できない世の中になってしまった。
FBでも海外旅行の思い出を語るようなグループが盛んに更新されていて、思い出話だけがアツい。でもこうして、現地で見たこと感じたことを、身近な人に聞かせるだけじゃなく、共感してもらえる誰かと繋がることができるって、別の楽しさがあるんじゃないかとも思う。

最近、旅行したい欲がむくむくと湧いてきたので、クールダウンがてらnoteを書いてみようと思う。

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当時の写真はCDRに焼いてしまい取り出せないので、最近行った京都の写真をイメージに置いておく。

昔からお寺が好きだったこともあり、京都は好きな旅行先であった。
そしてある時を境に、京都は特別な旅行先になった。

20代前半、はじめての一人旅。
一人で海外へ行く勇気もなく、車の免許を持っていない私は、国内の知らない土地へ行くのも不便で、結局は何度か行ったことがある少し土地勘のあった京都に行くことにした。

でもそれは私にとっては正解であった。

当時はまだガラケー時代。
まずGoogleマップを印刷し、行きたい寺社やお店への道順を蛍光ペンでマーク。手に握りしめながら一人京都の町を歩きまわる。
迷ったらどうしようと少しの不安がありつつも、どんとこいな気持ちもあって、何に対してもいつもよりもいろんなことを感じられたように思う。

アナウンサーや芸能人が一人旅をし、「自分探し」なんてキーワードが流行っていたようにも思うけど、まさに私自身、何が大事なのかを知る旅になった。

竹林のざわめき
蝉がぴたっと鳴きやんだ時の庭園の静寂
ガイドブックに載っていない素敵なお寺の発見
街角でみつけたかわいい意匠
おみくじを見せ合う姿
京料理の味わい

あの人と一緒に見たい。
あの子これ好きだろうなぁ。
あの人にこれを食べさせてあげたい。
お土産にしたら喜んでくれるかも。

気がつけば誰かのことを思い浮かべていた。
一人で来たけど、人と一緒にいる感覚を強く感じられた。
今までみんなに囲まれて過ごしてきたんだなぁって気がついた時、「私、幸せだな」と自覚した。

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一人で良かったことももちろんある。
仏像のお顔を眺めていたら泣きそうになった。いろいろあって、こんがらがった気持ちを解いてくれるような、救われた気分がした。
その時までお寺の何が好きなのか言葉にできなかったけど、仏像好きを自覚した瞬間だった。

それからというもの、仏像拝観ができるお寺を探しては、(他の参拝客に迷惑にならない程度に)仏像の前を陣取り、心静かになるまでじっと。気が済むまで拝むことをしている。
好きなことを好きなだけ。これは一人旅の大事なポイントの一つだ。

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ふとした時に、他者との関わりを感じられる一人旅。
あれから十数年経った今でもちゃんと覚えている。
私にとってかけがえのない旅であった。