世界陸上

高校野球は残すは決勝のみ。以前は野球が好きやからってだけで見てたけど、なんか最近はあの暑苦しい泥臭さに妙にときめく。

昔は坊主頭にも、そんなどうでもいいことで少年たちを縛って時代遅れなスポーツだと思っていたが、サラサラヘアーの涼しげな様子を見ていると、「あれ?なんか違うぞ?」と思うんだから外野は勝手なものだ。

それから世界陸上も始まった。日本選手団の中では田中希実選手一推しなのだが、残念ながら1500は準決落ち。5000頑張ってほしい。

放送を観ていて、「なんか違うな」と思っていたら、織田裕二だ・・・と気づいた。好きな選手の話に、目を輝かせて喋るあの姿、好きだったなとやたらに寂しくなった。まぁそれは良い。

どんな競技でも、別にスポーツじゃなくても、全国規模の争いの中で、抜け出す人っていうのはすごいもんだな、とスポーツを観ていると改めて思う。

甲子園に来るような学校なんて、どこもとんでもない量の練習をこなしているはずなのに、その中でもやっぱり抜け出す人は、抜け出してくる。

生まれ持った馬力や幼少期の体験が違うといえばそうこともあるだろうが、たとえば、普通の選手が4段階や5段階、その競技に何年間かで取り組む中で技術の境地が変わっていくタイミングがあるなら、全国でも抜け出してくるような人は、20段階やら30段階もあるいはそれ以上の質的な変化を経験しているのかもしれん。

そんな世代のトップを行くような選手は、毎年出てきて、大学生以降、さらにそういう経験を積み重ねる人だけが、世界陸上みたいな舞台にまでやってくる。

さらにまたまたその中でも、ハッサンやヤコブインゲブリクセンみたいな優勝争い前提とするような、化け物が出てくる。

一体どれだけの脱皮をしていることやら。
量から生まれた質、その自覚が生む自信、そういう職業的基盤がカッコいい。

どこででも通用するスキルだとか、役に立つスキルだとか、本当に必要なのはそんなんじゃなくて、そういう深所に入っていくこと、それを基盤に色んなことに対峙していくこと、そういったことじゃないのかと思ったりする。そんな基盤はいくつもいらない。一個でいい。

まだ始まったばっかりや。

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