カルチャー
今日はコーヒーたくさん飲んだ。
写真は昨日だ。
知り合いのお店と携わった人間のお店に
コーヒーは日本でカルチャーに昇華するのか
ボクは昔から言っているが
ファッションに過ぎないと考えている。
この事は昔から一篇にまとめようと目論み続けている。
カルチャー化も大事であるが、
地域、地元に愛され根差したお店がとても大事だし、
そのような街はうらやましい。
朝(午前中)に吉祥寺で映画を視て、
午後は久しぶりにcoffee行脚。
先日お客様(イベント参加者)に提供した量に匹敵するcoffeeを口にしている。
ミルク入ったモノやespressoなどバリエーションには富んでいるし、
移動時間があるので休息も出来ている。
固形物を口にしていないのでどちらが良いのかでもあるw
本題に戻る。
コーヒーは味以上に人であると思っている。
味が(あまり)求められていないし、
コーヒーはあくまでもコーヒーで
されどコーヒーではないのである。
コーヒーの味を気にしているのはこの国においてほんの一部でマイノリティーにすらなっていない。
コスパありきだし、100円の満足度を超越すれば良く、
通ぶるためには味覚判断より情報が大事であるのだ。
一杯のcoffeeを通じた味覚体験や体験はまだまだ提供しきれていないのである。
coffeeと器の話|雷電抽出探究所 @rydeenbrewing #note https://note.com/rydeenbrewinglab/n/n170a4844dc4e
一応ボクも一杯のcoffeeを通じた味覚体験や体験を提供するためにイベントを行ったり、そのイベントの度に反省を繰り返している。
コーヒーは味以上に人であると思っている。
味が(あまり)求められていないし、
コーヒーはあくまでもコーヒーで
されどコーヒーではないのである。
だからボクは人ではなく味覚体験や体験の提供をしている。
人間として欠陥や問題があるから
しかし、おいしさや味では人を補いきれないことを痛感しているし、
おいしさが評価されないのではなく、おいしくても評価されないのである。またおいしさを評価出来ないのである
多くのひとびとはおいしさではなく、好みで評価をし、そもそものモノサシが異なる。
おいしいと好みのモノサシの違いに理解をしていないパターンが多く、
そもそも味に対してのモノサシを持とうとしている人が少ないのである。
だからこそ、
"おいしいよりたのしい"をコンセプトとモノサシでコーヒーキュレーターとしてコーヒーキュレーションを行っている。
カルチャーの"カ"の字というか、この国においての"c"を書き始めるきっかけになれたらと思って頑張っているし、頑張り続ける。
この話はこんなところで
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