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コーヒーをおいしく淹れるのは 才能なのか、スキルなのか、

みなさん、おいしいコーヒーは飲んでいますか?
ボクの淹れるコーヒーはおいしいです。
ハードル上げれます。お金とってますしね。

おいしいコーヒーはなんだという問いは置いておこう

おいしいコーヒーってなんだ。
野暮なことを聞くな笑

人それぞれ違うし、統一見解もある。
今日はその話は置いておきます。

ひとつだけ、
コーヒーを淹れることは趣味でも楽しめますし、
お金を頂戴することも出来る。

人の人生に影響を与えたり、狂わせることもできます。笑

ひとつの尺度としてお金を戴くか否かは大きなフィルターとなることでしょう。
お金を戴く際においしさは満足度に関わる大きな要素であります。
しかし、以前別の記事でも書いたが、

おいしさと好みは切り離して考えましょう。

おいしいコーヒーを淹れるのは才能なのかスキルなのか

どちらもでしょう。
人によるし、と元も子もないことを言ってみる。

しかし、自分に関して言えば

才能である。

と断言する。
でも、補足として優れた才能を持っているとは言わない。
(優れていると)判断するのは相手だからだ。

もうひとつ補足、蛇足かもしれない
スキルは否定しないし、多くの部分を人によって占めるだろう。

スキルは個人の努力で(報われるかは置いておいて)どうにでもなる。

教えるに近いというか、教えることもしてきたし
スタッフも育成してきている。

だから断言する。

スキルより才能だと

なぜ断言できるのか

スキルとセンサーは積み重ねやトレーニングでなんとでもなる。
(ただし、人それぞれ量は異なる)

しかしセンス(才能)は持ち合わせたもの
もっと言えば持ち合わせていることに気付けるか否か
さらには活かせるか否かだ

もちろん、トレーニングによってスキルやセンサーを獲得し、精度を高めていく上で凌駕することもあるだろう。

しかし、
センスを獲得することは”絶対にない”
気付くきっかけになることはあるだろう。

壁の話

先ほどひとつの尺度として、

ひとつの尺度としてお金を戴くか否かは大きなフィルターとなることでしょう。

と記した。

ここで誤解して欲しくないのは、

お金を頂戴する。ということが大事なのではなく、
誰かのために淹れるということが重要なのだ。

ここに付随して、壁が生まれる。

このご時世、
自分の好きな・お気に入りのお店でコーヒー豆を購入し、機材をある程度揃え、
お店の”ちゃんとした”ミル(グラインダー)でコーヒーを挽いてもらったり、
自分で”ちゃんとした”ミル(グラインダー)をもちいてコーヒーを挽き。
世界チャンピオン等々の優れたレシピを用いれば誰だっておいしいコーヒーを入れることができる時代だ。

容易に世界チャンピオン等々のレシピをネットから引用できるし、
親切なことにレクチャーした動画もあることだろう。

(機械的に)淹れることと理解は別であるしね。
優れたオペレーターはプロアマ問わず増えてきたと思う。

数値管理しレシピ通りに淹れればそのレシピのコーヒーが、
もし失敗したらそのレシピのせいにしたり。笑
『好みじゃなかった』を言い訳をすればいい。笑

あなたは”壁”に気付けたでしょうか。

”自己満足”の壁はとても険しく高い壁になりうるのです。
あなたを好きな人であれば、
あなたの独りよがりで自分勝手な自己満足のマスターベーションに付き合ってくれるかもしれません。
しかしながら、相手にも好みがありますし、もちろん想いがあります。

あなたは応えられますか?

あなたはその壁を乗り越えられるのでしょうか、

相手の好み、想いに
応えられますか?

応えるために

あなたも相手を想いましょう。

小手先のスキル。うんちくより
単純・純粋な想いは凌駕します。

強いて言えば、
おいしさをおいてきぼりにするかもしれません。

そろそろわかりました?

才能(センス)というのはコーヒーそのものを淹れる面の話もありますが、
それ以上に相手への想い、それを伝えたいという情熱を持ち合わせているか否かということなのです。


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