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一橋大学ジョン・マンキューソ准教授によるハラスメント(3)~2016年12月ARIC研究会襲撃事件(2)

こんにちは。梁英聖です。

noteには、記事をまとめて表示するマガジンというものがあるようですね。

関連記事を、一橋大学ジョン・マンキューソ准教授によるハラスメントにまとめました。今後どんどん更新していきます。

さて、今回は前回の記事で書いたマンキューソ准教授が私と反レイシズム情報センター(ARIC)を最初に攻撃した2016年12月ARIC研究会襲撃事件の様子を、もうすこし詳しく紹介することにします。

(というのも、前回の記事は、2016年12月14日起きた襲撃事件直後の私のツイートを紹介するだけで終わってしまったからです)

事件が起きた2016年12月14日、一体何が起きたのか、順を追って説明しましょう。

私たちARICは6時から一橋大学で、公開研究会「世界で台頭するポピュリズム/排外主義と日本」を開催する予定でした。

トランプ大統領を熱烈に支持するマンキューソ准教授は、このイベントが反トランプがメインのイベントだと勘違いして妨害しに来たのでした(実はこの研究会の趣旨は、米国よりも日本の排外主義台頭のほうがより危険ではないか、というものだったのです…)。

当時の記録と記憶を頼りに、事件を再構成してみましょう。

2016年12月14日の午後6時直前の、5時45分ごろ。

開会準備のために資料を運んでいた私ともう一人のボランティア学生2名は、会場の国際研究館の一階エレベーターを待っていました。

すると、一階ロビーの玄関から、眼鏡をかけた白人男性一名がはいってきて、私に気付くなり、早歩きで私に向かってきたのです。目や顔の表情から、かれが猛烈に怒っていたことは明らかでした。

エレベーターを待っていた私に向かって彼は、震える手で、くしゃくしゃにまるめたARICのビラ(上記)を振り回し、英語で「お前がスピーカーか?」と聞きました(ビラには私の顔写真が載っていた)。

Yesという私の答えを聞くや否や、「お前に話がある」と捨て台詞を吐いたあと、階段をツカツカと昇っていったのです。彼の怒りのボルテージが上がっていくのがわかりました。

前回書いたように、私はまさかその白人男性が一橋大学の教員だとは知りませんでした。というより、ジョン・マンキューソという名前も、私はその時知らなかったのです。

あからさまに敵対的な態度から、極右が乗り込んできた(しかも白人で、英語しかできなさそうな)――と判断しました。不安を募らせながら、ボランティア学生と2人でやってきたエレベーターで4階にあがり、会場の共同研究室2に入りました。たしか7、8名ぐらいの学部生・院生が室内で待機していました。まだ彼が来ていないことにホッとしました。

と、すぐに彼がやってきました。おそらく5時50分ごろと思われます。

バン!

とドアが開くなり、その白人男性はいきなり英語で怒鳴りだした、のです。会場全体が響き渡るほどの大声で。しかもこちらが何度もやめてくれと言っても、全く聞く耳を持たず、ひたすら怒鳴り続けるのです。

彼の攻撃対象は、ビラに顔写真が載っていた私だったようです。彼は始終私をにらみつけ、私に向かってF●CK!と連呼していました。英語で早口で怒鳴られたため、その時何を言われたか、ほとんどわかりませんでしたが、私に対してひたすら、

You are racist!

You are ridiculous!

F●ck!

等と同じフレーズを繰り返し、面罵していることだけはわかりました。

信じられませんでした。私の人生において、公衆の面前で、ここまで罵倒されたことは一度もありませんでした。また何の理由もなく、F●ckなる最悪の語を用いて侮辱されたこともありません。そして、長年差別に反対してきた私に対して、レイシストだと何度も何度も何度も罵倒されたことなど、一度たりともありませんでした。racistという語を何十回も浴びせられた経験は、屈辱以外何ものでもありません。

この襲撃事件によって、会場は騒然とした、というよりも、参加者も主催者もほとんど凍り付いて動けなかった、というのが本当です(こういうショッキングな事件が起こる時、人間というものは本当に体も頭も固まってしまうものなのだ、ということがよくわかりました。参加者が皆、申し合わせたように、身じろぎもしなかったのです。マンキューソ准教授は参加者にもridiculousという語を使って怒鳴ったのですが、それにも反応する人はゼロでした)。

この時、警備担当のボランティア学生のA君が、教室前方右手で怒鳴り散らすマンキューソ准教授が、これ以上他の参加者に接近しないよう立ちはだかり、英語で、

とにかく外に出て、話しましょう

と言いました(A君は留学経験があり英語ができたのです)。

しかしマンキューソ准教授は逆に怒り狂い、報告者の席に座っていた私梁英聖に向かって来ようとしました(殴られるかも知れないと恐怖しました)。それでマンキューソ准教授はA君の身体に自分からぶつかった格好になったのです。すると、

Don't touch me!!

と、甲高い声で叫んだのです。のけぞった、大げさなパフォーマンスと共に。自分が完全に加害者なのに、堂々とした被害者アピール。当たり屋のやり方です。

確信犯だ、しかも相当悪質な確信犯で、マイノリティへの迫害や反差別運動妨害など極右活動の経験を積んだ白人至上主義の極右活動家だろう――私はそう思いました。

出て行ってくれ、触るな、出て行ってくれ、触るな…という押し問答の末、A君と私とでようやくマンキューソ准教授を共同研究室2の外に出すことに成功しました。しかしその廊下でも、教室内でのハラスメントと全く変わらず、マンキューソ准教授はずっと、F●ckという語を連呼し、私とA君を罵倒し続けていました

しかも、マンキューソ准教授は、なんと在日コリアンである私に対して、

Do you have a passport?

Do you have an ID?

Do you have a 外人card?(ママ)

などと大声で、執拗に出自を問いただすような差別発言を行ったのです。もちろんその廊下は、国際研究館という一橋大学の施設内で公共空間です。

マンキューソ准教授はとにかく私の出自をひたすら問題にし罵倒し続けたのです。これがレイシズムでなくて、何なのでしょうか?

(もっとも日本だと上記発言のヤバさがピンとこないかもしれません…。信じがたいことに、一橋大学の教職員さえ、そのヤバさがわからないのですから。しかしDo you have a passport?という言い回しは、トランプ大統領当選後の米国で、白人至上主義者が移民排斥と差別のために用いる明白な差別発言なのです。(これについては、回を改めて論じようと思います))

正直に言えば、私はその時、かなり動揺しました。

ドゥユハバパスポート?

こんなこと、一橋大学で聞かされるなんて、思いも寄りませんでした。それに正体不明の白人至上主義の極右(マンキューソ准教授だと知らず)がまさか(世界的にはマイナーなマイノリティである)在日コリアンに関心を持つなんて思わなかったのでこの白人極右、やたら日本の差別に詳しいぞ、と思ったものです。

さて、前回書いた通り、私たちはこの日はまだ、彼が一橋大学教員であることも、マンキューソ准教授であることも知りません。なぜ妨害しにきたのかも不明で、しつこく帰ろうとせず、ひたすら英語で罵倒し続ける、正体不明の白人極右を、とにかく帰らせようとしていた訳です(私たちとしては、とにかく研究会を主催している以上、参加者の安全を確保し、来てくれた参加者のために、研究会を最後まで無事に終える、というのが第一でした)。

しかし、マンキューソ准教授はなおもしつこく帰ろうとしません。むしろ必死に帰るよう説得をつづける私たちを、上から目線で愉快がっている感じさえみてとれ、非常に不愉快でした。

帰ろうとしないマンキューソ准教授に対して、これ以上説得しても、らちが明きません。いい加減、研究会の参加者を待たせているのが気になります。私はA君に話し、冷静な調子で雰囲気で変えて次のように伝えてほしいと提案しました(A君に訳しもらいました)。

・話があるのなら、後日にしてほしい

・批判があるのならこちらも答えるから、連絡先を教えてほしい(私たちの連絡先はビラにあるメールアドレスだ)

・そもそも、あなたは誰なのか? 名前と所属、すくなくとも連絡先を教えるべきだ

しかしその白人極右(マンキューソ准教授)は不思議なことに、いっさい自分の名前も、所属も、連絡先さえ教えようとしなかったのです。

私たちはとにかく連絡先だけでも教えてほしいと要求したのですが、マンキューソ准教授はで自分の名を頑なに明かそうとしません。その代わり彼はハッキリと、次のように言い放ったのです。

I worked for Donald Trump. 

We traveled around the world, and we contact people who are speaking negatively against Donald Trump.

KKKやネオナチなどで有名な白人至上主義や極右は、もちろん国際的なネットワークを持っています。マンキューソ准教授はそのことを当然よく知っています。かれは名を名乗る代わりに、極右の国際的ネットワークの後ろ盾を私たちにチラつかせ、私とARICを脅迫してきたのです。

この発言は、実際に現実的な脅迫として、私にもARICの学生メンバーにも多大な被害を及ぼしたことを、ここに明記しておきます。マンキューソ准教授はこの脅迫を言い残して、やや上機嫌で帰っていきました(研究会開会時間から、6時15分~20分頃だと思われる)。しかし残された私たちは、その日研究会が終わるまで、

・正体不明の白人至上主義者の彼(マンキューソ准教授)が再度襲撃にやってくるリスク

・彼以外にも、彼と同じような白人至上主義者が襲撃してくるリスク

を意識して、極右の妨害対策に追われどおしだったのです。また、

・また同じような研究会やイベントをしたときに白人至上主義者に襲撃されるリスク

・私と、ARICメンバー、ARIC研究会参加者などへの極右の襲撃やヘイトクライムが起きるリスク

にどのように対応するか、ということに膨大な時間と労力をとられざるを得なかったのです。

以上が、12月14日のマンキューソ准教授によるARIC研究会襲撃事件の経緯となります。

15分以上遅れて開会したその日の研究会は、散々でした。私は報告者として何とかつとめを果たしましたが、しかしマンキューソ准教授による卑劣な妨害によって、参加者も心ここにあらず、という感じであったし、雰囲気も非常に重苦しいものとならざるを得ませんでした。マンキューソ准教授による妨害によるトラウマで、二度とARIC研究会に来れなくなった学部生も、少なくとも2名はいます。いったい、どうやって責任をとってくれるのでしょうか?

このようなマンキューソ准教授による前代未聞のハラスメント事件が起きた直後に、私は次のようにツイートしていました(前回の記事に詳しく書きましたが)。

強気のツイートでした。本当は上記のようなとんでもない妨害行為が起きていて、修士論文提出一か月もない非常に忙しい時期に、正体不明の白人至上主義者からの妨害にどう対応しようか必死に頭を悩ませていたのでした。

だからこそ、このような常軌を逸したハラスメントが、正体不明でもなんでもなく、われらが一橋大学のマンキューソ准教授だったことが判明した時には、驚愕しました。

(しかし犯人がマンキューソ准教授だということがわかると、なぜあれほど彼が自分の正体を隠したがったのか、ようやく理解できました。かれとしては怒りに任せて自分を制御できず深刻なハラスメントを行ってしまった以上、私たちに自分が一橋大学の教員だとバレていないならば、なるべくバレないままにしておきたかったのでしょう。)

では、どうやって犯人がマンキューソ准教授だ、とわかったのか?

次に続きます。

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