マスコミと政府が麻生太郎の差別発言を非難すべき理由─「一つの民族」発言は不適切発言ではなく人種差別撤廃条約に違反するヘイトスピーチだ

麻生太郎副総理は過去にナチスを賛美したり、セクハラを露骨に肯定するなど、レイシズム(人種/民族差別)やセクシズム(性差別)を幾度も繰り返して来た。

※麻生太郎氏の差別についてはARICの政治家レイシズムデータベースに19件が記録されている。これも一部である。

そんな麻生氏が1月13日の今日、極めて深刻な差別発言を行った。福岡県直方市で開いた国政報告会で次のように発言したという。

麻生太郎副総理の「一つの民族」発言

発言は以下の通り。出典は下記の朝日新聞記事だ。

麻生氏は13日の国政報告会の中で、昨年のラグビーワールドカップ(W杯)の日本代表チームの活躍に触れ、「いろんな国が交じって結果的にワンチームで日本がまとまった」などと指摘。その上で「2千年の長きにわたって一つの場所で、一つの言葉で、一つの民族、一つの天皇という王朝が続いている国はここしかない。よい国だ」と述べた。

それだけでない。同じ日に麻生氏は、同県の飯塚市で行われた別の国政報告会でも、次のような発言を行ったという。

麻生氏は同日、同県飯塚市での国政報告会でも「2千年にわたって同じ民族が、同じ言語で、一つの王朝を保ち続けている国など世界に日本しかない」と発言した。

この2つの発言は、単なる失言や暴言でもない。

これは差別発言である。95年に日本が批准した国際条約である人種差別撤廃条約に違反する違法なレイシズム(人種差別)である(そう言える理由は後述)。

ところが驚くべきことに、どの新聞もこの発言が人種差別撤廃条約に違反したと書いていない。それどころか差別だとさえ、はっきりと書いた報道機関はどこも存在しないのである。

また、安倍首相や法相は、麻生氏の発言が人種差別撤廃条約に違反する差別発言であると指摘し、厳しく非難しなければならない。なぜなら人種差別撤廃条約は国が差別を非難すべき義務を定めているからだ。差別を非難しないことは、首相も法相も人種差別撤廃条約違反の行為を犯すことになる

とりいそぎ解説したい。

グローバルスタンダードなレイシズム(人種差別)の定義──人種差別撤廃条約第一条から

上記の発言がなぜ差別だと言えるのか。それは人種差別撤廃条約が禁止するレイシズム(人種的差別)racial discriminationの定義に、同発言が当てはまるからだ。

すでに下記の過去記事で、同条約を使ったレイシズムの解説はしたことがある。繰り返しになるが、それを少し修正して解説しよう。

人種差別撤廃条約が禁止するレイシズムの定義は以下である。

この条約において、「人種差別」とは、〔①〕人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における〔②〕平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は〔③〕効果を有するものをいう。(第一条、外務省訳、強調は引用者)


ちょっと難しいかもしれないが、決定的なのは2つの要素だ。つまり、

①(人種/民族等)グループに対する
②不平等(平等な人権の否定)

である。

つまり①グループへの②不平等が差別である。

また今回の麻生発言に引きつければ、上の定義にハッキリと「優先」と明記されているところに注意してほしい。つまりたとえば黒人奴隷制など、特定の人種/民族的グループを「排除」したり「制限」するだけが差別なのではない。白人至上主義などのように特定の人種/民族的グループを「優先」させることも差別なのである。

そして重要なのは差別する意図や目的がなくとも、その

③効果

さえあれば、それは差別であると定義づけられている点だ。

まとめると①グループへの②不平等が差別である。そして意図が無くとも③効果がありさえすれば差別だと扱われる。

これがグローバルスタンダードな差別の定義だ。

(以上、前掲拙ブログからの引用終了)

では、この定義にしたがって麻生太郎氏の今回の発言をみてみよう。

麻生太郎副総理の「一つの民族」発言が差別である理由

前掲の発言を再び引用する。

2千年の長きにわたって一つの場所で、一つの言葉で、一つの民族、一つの天皇という王朝が続いている国はここしかない。よい国だ。
(直方市での発言)
2千年にわたって同じ民族が、同じ言語で、一つの王朝を保ち続けている国など世界に日本しかない
(飯塚市での発言)

この発言は果たして、人種差別撤廃条約が禁止する、①グループに対する②不平等な③効果があるのかどうか。

まず①グループを問題にしているか。

この麻生発言は明らかに、①「一つの民族」という人種的グループを、主語にしている。

そして②不平等な③効果があるか。

麻生発言は明らかに、①「一つの民族」という人種的グループに対し、②人種的優越性を主張している。その根拠とされているのは、単一領土の保全、単一言語の保全、そして天皇という「王朝」を維持してきたこと、そしてその時間が2千年にわたるということであり、そして以上のことが世界広しといえども日本にしか存在ないという固有性(純粋さ、純血性といってもよい)である。

これはもちろん、人種差別撤廃条約のいう人種的「優先」に他ならない。

そして差別の③効果、である。

もちろんある。

麻生太郎発言が差別煽動効果を持っている証拠

政治家や著名人が差別することは、庶民の差別と比べ、その社会的差別煽動効果は桁違いである。しかも麻生氏は副総理である。

すでにツイッターに無数の実例がある。その一例をあげよう。

まずは著名人。麻生氏と同じくナチスを賛美したことのある高須克弥氏は次のようにツイートしている。

それからまとめサイト。

このようなアクセス稼ぎで広告収入を目的とするまとめサイトにとって、極右政治家の差別煽動は格好の収入源である。早速記事を貼り付けるだけで、無数のコメントが殺到し、収益を上げるのだが、それにより差別煽動効果は何倍にも膨れ上がる。

既にこのツイートにメンションする形で、以下のような差別ツイートがみられる。

いずれも深刻な差別である。

もちろんこれらは氷山の一角だ。

まだ13日だ(すでに14日未明だが)。明日明後日と、この問題はニュースやネットで話題になり、差別もそれだけ煽動されるだろう。また極右政治家がこの麻生発言をネタにして便乗差別煽動に走るだろう。さらに産経新聞や『WILL』などの愛国差別ビジネス新聞・雑誌がこの問題で一儲けをたくらむだろうから、それだけまた差別が煽動されることになる。

これを止めるために、どうしたらいいのか。

時間がないので、短くまとめよう。まず、政治家とマスコミが麻生太郎発言を、明確に差別だと批判するかどうかが、問題となる。差別を批判しない政治家は、政治家を辞めるべきだし、差別を批判できないマスコミはジャーナリズムとは呼べない。

首相、法相その他有力政治家がすべきこと

首相、法相、閣僚、その他有力政治家は、麻生太郎発言が深刻な人種差別撤廃条約違反の差別発言であることを認め、すみやかに批判声明をださなければならない。

そうしなければ人種差別撤廃条約の違反である。

同条約は国・自治体がレイシズムと闘うことを義務付けている(以下、第四条本文とc項)。

第4条
 締約国は、一の人種の優越性若しくは一の皮膚の色若しくは種族的出身の人の集団の優越性の思想若しくは理論に基づくあらゆる宣伝及び団体又は人種的憎悪及び人種差別(形態のいかんを問わない。)を正当化し若しくは助長することを企てるあらゆる宣伝及び団体を非難し、また、このような差別のあらゆる扇動又は行為を根絶することを目的とする迅速かつ積極的な措置をとることを約束する。このため、締約国は、世界人権宣言に具現された原則及び次条に明示的に定める権利に十分な考慮を払って、特に次のことを行う。
(c)国又は地方の公の当局又は機関が人種差別を助長し又は扇動することを認めないこと。

先日川崎市で朝鮮人虐殺を煽動する差別はがき事件が発生した際、川崎市長や首相が差別非難コメントを出すべきだ、さもなくば条約違反である、とする記事を書いた。今回も同じ趣旨だ。

マスコミは麻生発言を「差別だ」とハッキリ批判すべきだ

またマスコミは麻生発言を「差別だ」とハッキリ書くべきである。

だが驚くべきことに、いまだに麻生発言を「差別だ」とハッキリ書いたマスコミはゼロである。

上の朝日新聞もそうだが、他の記事もそうで、たとえば西日本新聞記事では次のような書き方にとどまっている。

昨年4月に法律として初めてアイヌを「先住民族」と明記した「アイヌ民族支援法」が成立しており、麻生氏の発言は不適切との批判を浴びる可能性がある。

また毎日新聞も、

「アイヌ民族支援法」はアイヌを「先住民族」としており、日本が単一民族国家と受け取られかねない発言は批判を呼ぶ可能性がある。

とするのみだ。

なぜ、日本の新聞は、差別を差別だと書かないのか。書けないのか。

これは極めて重大な問題だ。これについては時間がないので、改めて書くこととしたい。

腹が立つので一言だけ。

記者も新聞も、自分は麻生発言を差別だと書けないのに、それにもかかわらず、アイヌ民族支援法(アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律)を引き合いに出して、「批判を呼ぶ可能性」とか「不適切との批判を浴びる可能性」と書く書き方に、どんな意味があるのだろうか。

政府に法的整合性を問うているつもりなのかもしれないが、私には新聞が直接差別を差別だと書けない狡さが露呈してしまっているように思われたし、またあわよくばアイヌの当事者に差別を批判してほしいような欲求も感じ取ってしまう。またこのような書き方は、極右や差別主義者の怒りの矛先が新聞や記者自身に向くかわりに、アイヌの当事者をヘイトスピーチの「的」として差し出すような書き方になってはいないだろうか。

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反レイシズム情報センター(ARIC)代表。一橋大学言語社会研究科でレイシズムを研究。日本学術振興会特別研究員。著書に『日本型ヘイトスピーチとは何か』(影書房)、共著に『憎悪とフェイク』(大月書店)など。ツイッターはhttps://twitter.com/rysyrys
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