日本型謝罪テクノロジー(5)新聞労連「「嫌韓」あおり報道はやめよう」声明は政治家の差別煽動に対抗できるか

9月6日に新聞労連(日本新聞労働組合連合)が「「嫌韓」あおり報道はやめよう」という声明を出しました。

他国への憎悪や差別をあおる報道をやめよう。
国籍や民族などの属性を一括りにして、「病気」や「犯罪者」といったレッテルを貼る差別主義者に手を貸すのはもうやめよう。

という書きだしてはじまるこの声明は、明確に差別煽動を非難しています。この声明は高く評価できる点があります。と同時に、この声明だけでは肝心の具体的な解決策がみえず、問題が従来通り解決しないものになる恐れがあると思います。

ごく簡単に、新聞労連の声明の評価できる点と、見過ごすべきでない不十分さについて、解説したいと思います。

新聞労連声明「「嫌韓」あおり報道はやめよう」で高く評価できる点

冒頭引用部に続き、声明は次のように言います。

 先月末、テレビの情報番組で、コメンテーターの大学教授が「路上で日本人の女性観光客を襲うなんていうのは、世界で韓国しかありませんよ」と発言した。他の出演者が注意したにもかかわらず、韓国に「反日」のレッテルを貼りながら、「日本男子も韓国女性が入ってきたら暴行しないといかん」などと訴える姿が放映され続けた。憎悪や犯罪を助長した番組の映像はいまもなお、ネット上で拡散されている。
 今月に入っても、大手週刊誌が「怒りを抑えられない韓国人という病理」という特集を組んだ。批判を浴び、編集部が「お詫びするとともに、他のご意見と合わせ、真摯に受け止めて参ります」と弁明したが、正面から非を認めることを避けている。新聞も他人事ではない。日韓対立の時流に乗ろうと、「厄介な隣人にサヨウナラ 韓国なんて要らない」という扇情的な見出しがつけられたこの週刊誌の広告が掲載されるなど、記事や広告、読者投稿のあり方が問われている

 この声明の評価できる点は次の通りです。

1.この声明は抽象的に差別に反対するものではなく、具体的にゴゴスマや、『週刊ポスト』の差別事件(この連載の過去記事をご覧ください)を挙げて批判しています。

2.そして差別煽動だけでなく、この連載で批判した『週刊ポスト』の日本型謝罪テクノロジー(とりあえずアタマを下げてメディアと世間を誤魔化す手口)をも批判しています。

3.そして重要なのは私が太字にした部分です。「新聞も他人事ではない」と、新聞もまた差別煽動に加担したことを認めていて、それをもう改めよう、と宣言しているのです。『週刊ポスト』9月13日号の「怒りを抑制できない「韓国人という病理」」といった差別煽動で人目を引く広告を新聞も掲載したのです。声明は広告だけでなく、記事や読者投稿にも触れて、それが差別煽動にならないようあらためようと呼び掛けています。

抽象的に差別に反対するのでなく、具体的事例を踏まえて差別煽動を批判し、しかも新聞の加担を改めると宣言した新聞労連の今回の声明は高く評価できると思います。

4.さらにこの声明は戦後最悪と言われる日韓関係下でまさに日本政府とマスコミによって差別煽動がなされるタイミングでなされました。

この声明は日本社会だけでなく、特に現場で差別をなくそうと頑張っている良心的な新聞記者はじめジャーナリストや報道関係者を勇気づけるものでしょう。

新聞労連声明に足りないもの

しかし、声明を高く評価したうえで、私からするとやはり惜しいな、不十分だなと思う点もあります。

端的に言えば、この声明には、記者やジャーナリストが、具体的にどうしたらよいか、対策がないからです。たとえばこの連載で問題にしているように、もしも差別煽動を繰り返した政治家や芸能人が、とりあえずアタマを下げてマスコミと世間を誤魔化す日本型謝罪テクノロジーを使った場合、新聞記者はそれを無批判に垂れ流すのではないか、という懸念をぬぐえません。

差別をなくしたい、批判したいという良心だけでは、日本型謝罪テクノロジーには対抗できません。実際にこの連載で日本型謝罪の悪い例としてとりあげたゴゴスマの謝罪(8月30日)、『週刊ポスト』の謝罪(9月2日)や、黒岩神奈川県知事の謝罪(9月3日)は、ものの見事に加害者の「謝罪したもん勝ち」の状況になっていないでしょうか?

もちろん、声明は一般的な宣言であって、具体的な改善策は別でしょう、とも私も思います。

しかし最悪の日韓関係下の差別煽動状況は非常に危険です。しかも今回の声明が認めているように、新聞は第三者ではなく、日韓関係悪化に便乗した差別煽動の加害者ですから、それを改めるには宣言だけでは絶対に足りません。

愛国差別ビジネスに便乗した政治家や出版産業の差別煽動メカニズムに、新聞の広告や記事や読者投稿が、どのように巻き込まれ、どの程度加害に加担てきたかを分析し、その原因を明らかにして、改善する具体策を打ち出すことが求められているのではないでしょうか。

一つだけ声明の問題点を挙げれば、声明は新聞業界が自主ルールとして何が差別で何がそうでないのかを判断する公的な基準を持っていないことに、無反省のように思われます。たとえば新聞業界あるいは各社の自主的ルールとして、差別煽動禁止規定が実効的な形であったならば、『週刊ポスト』広告は掲載されなかったでしょうし、また8月27日の毎日新聞に掲載された「台風も日本のせいと言いそな韓」などという差別を煽動する川柳が載ることもなければ(こちらの記事参照)、全く非を認めないのに撤回という筋の通らない対応をすることもなかったでしょう。

そういう問題を可及的速やかに、新聞業界で働くひとびとの労働運動のイニシアティブによって、詰めていく必要があるわけです。

反差別運動をする者の見地から、新聞労連の声明に寄せて、新聞が差別煽動に加担しない、そして差別煽動をキチンと批判できるようになるための具体的な改善策を、試論ながらいくつか提言いたします(以下、主に政治家の差別煽動について、新聞がなすべきことを中心に書きます)。

1.政治家の差別煽動を報道すべきである。

つまり人種差別撤廃条約第4条が禁止する政治家の差別煽動を報道すべきです。

共著『憎悪とフェイク』で私は書きましたが、英語圏のトランプ大統領の差別に関する報道には、日本のメディアにはみられない顕著な特徴があります。

それは日本とは違い、次のことが大ニュースになるのです。

①政治家が差別すること。
②たとえ直接差別していないとしても、政治家が差別や極右を支持しているとみなされること
③直接差別していないとしても、政治家が差別や極右を批判しないこと、それらと闘わないとみなされること

(梁英聖「差別・極右への対抗とメディア・NGOの社会的責任」228頁)

日本の新聞は、上の3つを大ニュースとして報じる責任があります。

日本の新聞では、①でさえ多くは報道されません。

なぜか。それはおそらく、新聞(メディア)じしんが、何が差別で何が差別でないのか、という判断基準を明示的にもっていないからではありませんか?

出版労連が、人種差別撤廃条約ほか国際人権基準に準ずる差別禁止ルール(判別基準)を業界ルールとして制定していく必要があるでしょう。(新聞労連声明に欠けているのは、差別を定義する基準がメディア産業に自主的なルールとして制定されていないことへの無反省のように思われます)

問題はしかし②と③なのです。

2.政治家が差別を非難しないこと、極右と闘おうとしないことを報道すべきである。

つまり人種差別撤廃条約の義務である政治家の差別撲滅を履行していない条約違反を報道することです。

米国で2017年シャーロッツビル事件が起きた時、トランプ大統領が非難されたのは彼が差別煽動したからではなく、彼が白人至上主義者をちゃんと批判しなかったから、なのです。

同じ次元で日本の政治家を批判している新聞がありますか?

具体的にいいます。

2016年7月に相模原障がい者殺傷事件が起きた時、安倍首相が障がい者差別を批判しなかったことを、大ニュースにした新聞があったでしょうか?

また、虐殺事件から3年たったのに、いまだ安倍首相が相模原障がい者殺傷事件に関連させた形で障がい者差別に反対するコメントを出さないことを大ニュースにした新聞があったでしょうか?

2018年2月に朝鮮総連本部に銃弾が撃ち込まれた事件があったときに、安倍首相が、閣僚が、自民党が差別を批判しなかったことを大ニュースにした新聞があったでしょうか?

そして最近も韓国大使館に銃弾と脅迫文が送られ、しかもそれが徴用工問題・日本軍「慰安婦」問題をネタにした差別煽動であることが明らかなのに、安倍首相や他の政治家が差別を批判するコメントを出さないことを、大ニュースにした新聞があったでしょうか?

日本の新聞が、政治家が差別を批判しないこと、政治家が極右と親しいと思われることを、大ニュースにできないことが、日本社会の反差別規範を欧米とは比べものにならぬほど弱めているのです。

3.政治家の「お詫び」を無批判に報道することなく、日本型謝罪テクノロジーの欺瞞性を暴く報道をすべきである。

この連載では、その場しのぎのためアタマを下げてメディアと世間を誤魔化す政治家・官僚・企業が繰り返してきた日本型謝罪テクノロジーを批判してきました。

じつは新聞(メディア)はこの日本型謝罪テクノロジーを支える第一の共犯者です。

なぜなら日本型謝罪は、新聞が、①事実と②ルールという2つの公的基準を使って、政治家の不誠実な「お詫び」を質問で追い詰めていれば、メディアと世間を騙す手口としては使えないからです。


もしも新聞(メディア)が上の表にある通り、不誠実な「お詫び」をする政治家を記者会見で質問攻めにして、

①事実についての質問:例)事実調査したか、どのように、誰がしたか、結果は公表されたか

②ルールについての質問:例)どんなルールに反していたから詫びているのか、差別だと認めるのか否か、違法な差別の判断基準として人種差別撤廃条約を採用しているか、

などをきちんと聞いていれば、日本の政治家の「お詫び」は到底そのまま許されるはずはないのです。

さらにいえば、上の表にある残りのように、

③処罰・謝罪・賠償に関する質問:例)責任者(加害者)は処分したか、被害者にどう補償するか、謝罪はなににたいしてか。

④再発防止:例)再発防止措置として具体的に対策はあるか、検討するとしたらいつどのように決めるのか、だれがきめるのか。

ということを質問攻めにすることもできるでしょう。

日本の新聞業界が出版労連など労働運動のイニシアティブで、日本型謝罪テクノロジーを許さない、取材や質問の仕方などをガイドライン化するなど、積極的な具体策が必要だと思われます。

長くなったのでそろそろ終わりにしますが、最後に一つだけ。

前掲の共著『憎悪とフェイク』の拙稿「差別・極右への対抗とメディア・NGOの社会的責任」でも、実はこのような差別と闘う現場からの提言をすでにしています。

結論で私は3つの提言をしました。第一は欧米の反差別報道を「輸入」すること、第二は国内の差別を報道する時に国際人権基準を客観的な物差しとすることです。

最後の3つ目を、下記に再掲します(以下は243頁より)。

第三に、これも国際人権条約をモノサシにして、政治家の差別発言や、差別発生時の政治家のコメントを報道すること。性差別の例になるが、たとえば財務次官が記者にセクハラをおこなった事件について、閣僚や自民党幹部や野党議員ら政治家が、強く批判コメントを出さなかったことをニュースにするのである。「……と○○氏は述べ、明確に差別を批判しなかった」の一文を定型文にするぐらいは書いてほしい。かつてジャーナリストの本多勝一は文章表現での「紋切型」を唾棄した。しかし冒頭で紹介したトランプ氏を批判する海外報道のようなタイプの反差別報道は、ある程度「紋切型」あるいは「パターン化」しているとも言える。日本では反差別運動とメディアの差別批判が弱すぎて、「紋切型」の反差別文化さえつくれなかったのである。

長時間労働の過酷な労働環境で心身を疲弊させている新聞記者にとって、個人的努力で反差別報道を行うのには限界があるでしょう。第二回記事に書きましたが私は次のように考えます。

産業民主主義を再建するという文脈で、本当は愛国差別ビジネスと自主規制するルールを制定する必要があるでしょう。そういう意味で出版業界で働く労働者の労働運動と反差別運動とが協力して自主的ルールを作り上げるべき問題だと思います。

新聞労連がイニシアティブをとり、自主的に業界の新しい慣習として、欧米水準の反差別報道ができるような環境づくりに尽力されることを望みます。私たちは反差別運動の立場から必要があれば協力を惜しみません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?